「古語辞典」などで確かめること

「霜枯れし河原に黒き犬の立つ おまえもひとり孤独を食むか」(fumikoblueさん2002年1月8日

初句「霜枯れし」は少し変。「霜枯れの・・・」とはよく言いますが、「霜枯れ」を動詞として使うのはどうでしょう。結句「孤独を食むか」は強い印象の言葉ですね。詩語としては成り立つでしょう。その前の「おまえもひとり」の「も」ですが、そのニュアンスにはどうしても「わたしもそうだが」という含みがあります。そう解釈していいのですね。つまり、文子さんも孤独であると。いや、むしろ、ご自分が孤独だから、こうした孤独な犬に惹かれるのだと、こういう解釈になっていくわけですが。「ひとり孤独を食むか」の「ひとり」と「孤独」は意味的に重複していますね。(効果がある時は、わざと同じ(ような)言葉を重ねることはありますよ。)作歌には、こうしたこまごました配慮も必要でしょう。繊細にして微妙です。

添削:
「霜枯れの河原にたたずむ黒犬さん、孤独の味を噛みしめてるの?」

全体を犬への語り掛けとし、口語表現としました。口語とは、もともと話し言葉のことですからね。


「稲妻の」でもそうですが、文語と口語の使い分けがいまいちよくわかりません。今回も混乱しています。何か参考になる辞書のようなものがありましたら、お教えください。

こればかりは妙案はありませんね。文語旧仮名遣いかどうかは、「古語辞典」などで確かめることだと思います。初めの内は、どの語も不確かで、ほとんどみな調べる羽目になりますが、これも経験を積まれれば、大体解るようになると思います。日本の古典文学を読むのもいいかもしれません