歌ごとに判断すべき問題
- 2002.12.10
- 擬態語や擬音語について
本で読んだ中に、「ポツポツ」とか「ゆさゆさと」いった擬態語を使うと歌が幼稚になりやすい。とありましたが、先生はどのようにお考えでしょうか。(詩男さん2002年12月10日) 擬態語にも色々あります。一律に幼稚という言い方は、それこそ幼稚な論です。擬態語と一口に言っても、幼稚さを伴うものから、それ以外に形容の仕方がないと思われるようなもの、また思わずハッとさせられるような新鮮なもの、などなど、様々で […]
梧桐学が短歌添削時に記した中からの抜粋です。
本で読んだ中に、「ポツポツ」とか「ゆさゆさと」いった擬態語を使うと歌が幼稚になりやすい。とありましたが、先生はどのようにお考えでしょうか。(詩男さん2002年12月10日) 擬態語にも色々あります。一律に幼稚という言い方は、それこそ幼稚な論です。擬態語と一口に言っても、幼稚さを伴うものから、それ以外に形容の仕方がないと思われるようなもの、また思わずハッとさせられるような新鮮なもの、などなど、様々で […]
「澄み渡る山の空気がふあふあと斜面に群れ咲くコスモス揺らす」 (ゆう子2002年10月22日) あの岐阜・可児市の山手にある、花フェスタ記念公園のコスモス。色々な花があったが、あそこではコスモスが最も印象的だったからね。擬態語「ふあふあと」がいいね。普通は「ふわふわと」とするところだが。コスモスが柔らかく波打っている様が目に浮かぶ。出だしの「澄み渡る」はすこしアリキタリかな。あとはほとんどいいね。 […]
「コロコロリじゃが芋堀て紫のサラダじゃが芋色鮮やかに」 (夢子さん2002年7月6日) ハハハ、よろこぶ夢子さんが目に見えるようです。擬音語が生きています。 色は赤いのですか、紫なのですか。上の添え書きでは赤、歌では紫。きっと赤紫なのでしょうよ。 添削: 「コロコロリ サラダじゃが芋紫の色鮮やかに転がり出てくる」(夢子さん)
「音もなく青虫食める迅きこともし聞こゆればさぞ響くらむ」 (桐子さん2002年6月17日) 青虫がクチナシの木の葉を食べてしまうのですね。それも迅速に!たしかに、そんなことで花が咲くものか心配になりましょう。いや、蕾があるのだから大丈夫なのでしょうが。 この歌、「もし聞こゆればさぞ響くらむ」が意味をほとんど成さないのが惜しいですね。「もし聞こゆればいかに響くや」ならいいでしょうが。 添削: 「 […]
「ポクポクと砂利石鳴らす雨のつぶ足音に似て外のぞきみる」 (桐子さん2002年6月15日) これは雨だれの音ですね。初句「ポクポクと」は木魚の擬音語としてよく用いられますから、ちょっとまずいでしょう。それが、帰りを待つ子供の足音にも聞こえるのですね。 添削: 「雨だれの砂利石打てる音がふと吾子の跫音(あおと)に聞こえ外見る」 (桐子)
「カリリカリ小気味良き音鮮やかにりんごの笑顔部屋に飛び出し」(夢子さん2002年3月7日) 若い白秋はりんごを「さくさく」と表現しました。夢子さんは「カリリカリ」という。(あおぎりはこれに同感です。)ご主人はそれを羨んでおられる・・・。年齢とか健康状態などで、ひとつのものがこうも違って表現される、といういい見本ですね。それにしても、「カリリカリ」はいい擬音語ですね。ただ、あとに続く言葉が短歌になり […]
「小一時間かけて焼かれしかき餅の色良し香良しカリコリカリッ」 (梨夏婁さん2001年11月29日) よく詠まれた、軽快な歌ですねー。とくに結句がそうです。よく感じが出ています。こうした擬音語は、うまく使えば生(なま)の言葉で説明するより直接的に読者に気持ちが伝わりますね。なお、このかき餅はどこかの店で焼いたのを食べるのですね。ご自分で焼くのではなく。(「焼かれし」ですからね、「焼きし」ではなく。) […]