このサイトでの短歌添削の姿勢について

雪あがりミントの緑鮮やかに風邪ひき吾子に摘みてハーブティー (遊起さん 2003年1月4日
ハーブ茶は風邪にもいいわけですね。子供のころ風邪を引いたときなどは何かの葉を煎じた熱いお茶を大量に飲まされたことを思い出します。発汗を促すためだったと記憶します。あれも一種のハーブ茶だったのでしょう。
添削:
「雪あがりミントの緑鮮(あたら)しく摘みて煎じむ風邪の子のため」 (遊起)
いつも拙作を丁寧に添削していただき感謝しています。何か歌の体を成していないのではないかと、恥ずかしい限りです。良い本があれば紹介していただけないでしょうか。
短歌入門書はたくさんあります。ちょっとした規模の書店に行かれれば書棚に並べられているはずです。ただ、そうした本を読まれるのも一法でしょうが、このHPの「短歌教室」や歌集を読まれるのが、さしあたり手っ取り早いと思いますよ。まあ、沢山作って、慣れる以外ないのでしょうけれど。また、ひとの歌集を沢山読むのも役立ちますね。歌の節調が知らないうちに身に着くものです。

毎日わけも分からず始めた短歌に添削して下さり有難うございます。勉強の本について質問しましたが、あおぎりさんの今までの歌を読ましていただいていますが、文語表現や難しい漢字の読み方に苦労しています。ルビがほしいところです。私の添削が文語調に変わっているのは、理由があるのですか。昨日のハーブティーは、ハーブティーの言葉を残してほしかったのですが、、?(題にしましたので)不躾をお許し下さい。
歌の内容によっては、口語の方がいい場合もありますが、もともと簡潔表現を旨とする短歌は文語に向いた詩形です。それが現代でも文語短歌が盛んに作られている主たる理由だろうと思います。書道をお遣りになり、良寛さんが好きと仰る遊起さんの歌は、口語より文語に向いたものが多いので、つい添削も文語となるわけです。もちろん、口語短歌も捨てたものではありません。しかし、発想から口語的でないと、つまり発想が文語的なのは、なかなかうまく口語で収められないのです。折角の内容が、悪く言えばどうしても間が抜けたような感じになってしまうのです。このあたりは今後続けられることでお分かり頂けるものと思います。
 わたしも、短歌を作り始めた若いころ、ある結社の同人誌に投稿すると、こちらの考えたものとは違うものに添削されて載せられていて、決していい気持ちではなかった時期がありました。特に、気に入った語句を入れた歌が全然別の言葉で添削されている時などは、勝手にこんなふうに変えてしまって、と不快でさえありました。(今時なぜ文語か、とも思いましたよ。)しかし、
後々思えば、添削担当の先輩方は、添削した内容は内容として、歌の形を示して呉れていたのだと合点したものです。
 そうした先輩方には及ばずながら、この短歌添削BBSではわたしなりのポリシーで添削させて頂いている次第です。もちろん、ご参考として、ということです。ただ、添削には誠意を尽くしておりますので、その点は誤解なきようにお願い致します。

 自分は口語でいく、とお決めになるのも、一つの姿勢ですね。そのときは、せめて一首の中では口語(新かな使い)で統一して下さい。(意識的に、ある種の効果を狙って、部分的に文語的表現や旧仮名遣いをされることはいいでしょうが。)
 実は、此の種のことは、これまで何度も書かせて頂いたことなのです。新たにご投稿される方には、また改めて申し上げることになりますが。
 書に馴染むのは、やはり文語正統派短歌だとは思いますよ。(良寛を読まれるのであれば、文語も気にならないと思いますが。)
 とにかく、色々ご疑問も起こりましょうが、ドンドンご投稿下さい。その中で疑問にもお答え出来ましょう。