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梧桐学の「良い歌ですね」

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*--- 短歌の題名 ---*
1. 朝の散歩   夏の日差し    青春と病   歩く速さ   耳を澄まして    鈴の音    盆提灯   良歌   メ-ル   翁長雄志
2. ねむり姫   睡蓮   S L    五月の風   交換日誌    蕗の薹   水仙    老い二人    三年間は   
3. 車椅子   洗濯もの   鉄杭   妻の   点滴   麦秋   傘寿   春の息    清みゆく   枝垂れ桜
4. 脳梗塞   胸の傷跡   年賀状   冬のひかり   大根   月光   百千鳥    スタ-トペ-ジに   さざ波   淡雪
5.無情の雨   姉妹   大根   花火   秋晴れ   息子   秋風    天人菊    図書館   千の風
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2006/12/26(火曜)

「老い母に手を差し伸べて欝の君の声に少しずつ光もどりき」(迷倫)
無気力と倦怠感が強い欝のために、数ヶ月も職場に出勤できない女性(独居)がいます。最近骨粗鬆症の母親を引き取って介護をするようになりました。疲れがまだ強いとのことですが、自分だけの世界に閉じこもっているのではなく、実親とは言え他者への思いやりとお世話をすることで少しずつ声にも元気が戻ってきた感がします。

その女性は「自分だけの世界に閉じこもっている」よりも他者と常に接しているだけだはなく、それが母親であること、責任を感じること、さらにやるべき仕事があり自分が役立っていることで、鬱から徐々に解放されて行っているのでしょうね。鬱という病の治療法として参考になりますね。

添削:
「老い母の介護をし始め鬱の君の声に少しづつ艶(つや)もどりゆく」(迷倫)

(いい歌ですねぇ。。。)


冬至を過ぎて2006/12/24(日曜)

「日の入りの一分伸ぶるを確かめて春の来る日をゆっくり待たむ」(紗柚)
冬生まれの私は寒さにも強いほうですが、やはりこの季節は慌しさもあいまってメンタル的に苦手です。そんな中楽しみは朝刊の暦欄で日の入り時間を前日と比べる事。冬至を過ぎると当たり前ですが一分ずつ日の入りの時間が伸びてゆきます。これからは少しずつ明るくなって春が近づくのだと思うとちょっとうれしくなります。


そうですね、冬至を過ぎて太陽の軌道が南回帰線からはずれ、どんどん北の方へ変っていきますね。

添削:
「日の入りの一分伸ぶるを確かむるは春来むことの日々の楽しみ」(紗柚)

(いい歌ですね。)


湯船2006/12/22(金曜)

「しがみつき喜びの声あげる母しっかり抱きて湯船に沈む」(アン)
足が衰えてきた母を介助してお風呂に入れました.「湯がしみとおるーっ」とよろめきながらも以外に腕の力は強い母をしっかり支えてゆっくりと沈むとき大切な宝物のような気がしました。


そうですかそうですか、かっては自分がだっこされたお母さんをだっこする番になられた・・。これ以上のスキンシップもないし、お母さんもうれしいことでしょう(湯に浸かるうれしさと相俟って)。「母をしっかり支えてゆっくりと沈むとき大切な宝物のような気がしました」・・眩しいような言葉ですね。

添削:
「しがみつき喜びの声あぐる母をしっかり抱きて湯に沈めけり」(アン)

(いい歌ですね。)


ロールキャベツ2006/12/03(日曜)

「どこまでもキャベツのような人生と諭した母のロールキャベツ」(劫)
この前、デパートの惣菜売り場でロールキャベツを見掛けました。中の肉が透けて見える、大きなものでした。子供の頃、母の作ってくれたロールキャベツは大きいのですが中身は少なく、味のついたキャベツを食べている、という感じでした。ようやく肉が出てくると嬉しかった気がします。それを人生における目標の達成まで、に置き換えてみました。なんだか貧乏臭い話になりました・・・。


「どこまでもキャベツのような人生」・・・なるほど、キャベツは剥いでも剥いでも似た葉が出てきます。そしてどんどん小さくなっていき、やがて無くなる。人生とはそんなもの。あるとき剥いだ葉で母が包(くる)んて作って呉れたロールキャベツ、だからそれはその時の母の人生の一部で包んだもの。母の人生の一部そのもの。それを食べて俺は一人前になった。どんどん母を小さくしながら・・・。このお作をこのように解するとき、出色の歌です。最後の「ロールキャベツ」の一音足らずも、ここでは効いています。(字足らずは大抵失敗するのですが。)折角解説を書いて頂いたけれど、解説なしの方がいい場合もありますね。解説は解説として、このお作、いい歌です。


招き猫2006/12/19(火曜)

「吊革を握ろうとして空つかみ招き猫になる傾きながら」(劫)
通勤電車では文庫本を読んでいます。年の暮れ、今年の締めくくりとして、大好きな山本周五郎の<さぶ>を読んでいます。読むのはかれこれ、5回目くらいです。文庫本をめくるときに両手を本に添え、それから本に目を向けたまま吊革をつかもうとすると、揺れたりしてつかめないときがあります。


その瞬間を詠まれた。面白い発想ですね。今になって大人気の時代劇作家・山本周五郎・・・不思議な存在ですね。わたしは、テレビドラマ化されたものを時々観るだけですが。時代劇が現代劇と思えてしまう、そのマジックが興味深いです。傑作な一首です。

「吊革を握ろうとして空(くう)つかみ招き猫になる傾きながら」(劫)

(混み合う通勤電車の経験がある誰もが納得する、いい歌ですね。)


戦後2006/12/18(月曜)

「父母(ちちはは)と笹薮を焼き耕して蕎麦を収穫(と)りたる食(じき)なき戦後」(白嶺)

北海道開拓の放映を見ていて、戦後の食糧難の時代に父母と笹薮を焼き、一鍬ひと鍬耕して蕎麦を収穫したことがふと頭を過ぎり詠んだ歌です。(終戦後はちょうど成長期でして南瓜、馬鈴薯、玉蜀黍、蕎麦、魚(漁村でしたから)等が主な食べ物でした。)添削よろしくお願いいたします。


北海道の開拓時代は長く苦しいものだったようですね。囚人が使われた時期も長かったようですね。「笹薮を焼き耕して」は一種の焼畑農業ですねぇ。。。そういう時代は遠い昔のようで、実は(記憶に残る)つい最近のことですね。

添削:
「父母(ちちはは)と笹薮を焼き耕して蕎麦を穫り食ひし戦後茫茫」(白嶺)

(いい歌ですね。)


山茶花2006/12/14(木曜)

「故人宛の会議通知を配るとき夕闇に白く山茶花のひとつ」(迷倫)
最近亡くなったご近所のお宅へ故人あてのお知らせを配布しました。当たり前の定期会議開催通知でしたから日常生活が澱みなく流れている現実というものがもつ不確かさを実感しました。


そうした通知を故人と分かっている人にも配るのでしょうか?故人はごく最近亡くなられ、宛名の変更が間に合わなかったということですね。会議には、その家の誰かが代理で出られないか、ということなのでしょうね。だから配らざるを得ない。死は当人にとっては生涯最大にして最期の出来事ですが、ほかの人々や事象にはそうではなく、日々の流れはそれまでと変わりなく連続して経過していきます。死ぬ瞬間にその人にとって日常の全て宇宙の全てが無くなりますが、生きている人には何も無くなってはいない。それが死と生の完璧なる隔絶ですね。死とはそういうものであり、生とはそういうものですね。生と死は限りなく近く、また限りなく遠いとは、こういうことですね。

添削:
「故人宛の会議通知を持参する夕闇に白く山茶花ひとつ」(迷倫)

(いい歌ですね。)


雨音2006/12/14(木曜)

「大振りの傘にしました雨音をいっぱい集めて歩きたいから」(優子)

11日の月曜日の夕方息子が帰ってきました。火曜日の夜9時過ぎに家に帰ると夕ごはんができてました。小松菜ととりモモ肉の炒め物、玉子とたまねぎのお味噌汁、ほかほかごはん。これだけできてました。おいしかったなぁ。今日はふたりで雨の中梅田まで出かけて少しゆっくり話せました。雨音は聞くその時々で元気な音だったり泣き声に聞こえたりしますね。今日の雨は、陽気な雨音でした。

雨と言えば、春雨、梅雨、雷雨、時雨(氷雨)などなどありますが、いまどきの時雨は普通はつらいものとして受け取れら、また表現されますね。ここでは、すこぶる善いことがあったから、時雨さえ元気付けに聞こえたわけですね。もっとも、お作は無季で、このままだと雨季の歌と思われそうですが、それでも構わないですね。いつの雨だっていい。文句なしにいい歌です。それにしても、良き息子さんが帰省して、幸せそうですね。よかった、よかった。これからも、、、


小雪舞ひ輝る2006/11/281火曜)

「雪止みて庭の高木に雀らの飛び交ふ枝より小雪舞ひ輝る」(白嶺)
添え書きを必要としない歌かと思いますが、雀らが飛び交う度に枝から零れる雪が朝の陽に映えてとても綺麗です。添削よろしくお願いいたします。


そうですね、添え書き読まず、その情景がありありと目に浮かびました。結句は「舞ひ散る」ではなく「舞ひ輝る」ですか。苦心のほどが偲ばれます。雀らを主役にしてみてはいかがでしょうか?

別詠:
雪止みて庭の木々より散らふ雪きらきらと輝り雀ら飛び交ふ」(白嶺)

(叙景歌として、いい歌ですね。)


鰰(ハタハタ)2006/11/29(水曜)

「半島に係留されし船底に藻場あり蒼く鰰の卵塊」(暮秋)
「鰰の卵塊見つけしダイバーの潜りし磯はシャコタンブルー」(暮秋)
しばらく前に作った歌ですが、とにかく我々の手には負えない自然界の営みには、恐ろしさも感じますが、一方で、自然のいたずらとも言うべき微笑ましさもよく見かけられます。こちらは北海道ですが、比較的、広大で豊かな自然はまだまだ残っています。シャコタンは小樽の先のほうの積丹半島ですが、ウエブで調べると車高短(シャコタン)という言葉もあるそうで、車の高さを落とす改造のことだそうです。


車高短(シャコタン)というのは業界用語なのでしょう。

添削:
「桟橋に繋留さるる船の下に藻場ありて蒼し鰰(はたはた)の卵(らん)」(暮秋)
添削:
「鰰の卵塊見つけてダイバーの潜りし磯辺シャコタンブルー」(暮秋)

(二首目も傑作ですが、特に一首目がいい歌ですね。)



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