宮廷の恋歌
雅びやかに花花を詠む宮人(みやびと)ら支へし底辺の人々を思ふ 若きころ読みし <新古今> の恋歌を今にして深く味はひてをり
2000年11月に梧桐学のの短歌ホームページ「ものぐさ」を開設し、2001年10月に「短歌添削BBS」を設置しましたが、そこに投稿させて頂いた梧桐学の短歌を収納しています。スマートフォンからのアクセスの方は画像のリンクではなくメニューアイコンを開いて各ページへ移動してください。
雅びやかに花花を詠む宮人(みやびと)ら支へし底辺の人々を思ふ 若きころ読みし <新古今> の恋歌を今にして深く味はひてをり
罪深き事でも美しく詠むといふ短歌の宿命を嘆かざるべし 例歌:『沖縄の心埋めゆくトラックか 車列の前に青ざめる海』(野中暁)
恋歌の極みと思ふ‘新古今’の洗練されし心理詠をば
新古今集に恋路を人に知らるるを懼るる和歌の多きに驚く
厨辺(くりやべ)に林檎の香りただよひて白秋短歌をふと想ひ出づ
さまざまな人らの歌集を読みて思ふ少し直さば良き歌多しと
旧仮名の効果は例へば子規の俳句「鶏頭の・・」に顕著、新仮名に比して 参考:子規:「鶏頭の十四、五本もありぬべし」(旧仮名) vs 「鶏頭が十四、五本くらいあったなぁ」(新仮名)
晶子の歌「雛罌粟(こくりこ)」に見るごと短歌には「音(おん)」のみならず「字面」も大事
「古韻なれど古典的歌人らをつくづくとプロの歌詠みとあらためて思ふ」(梧桐)
「しみじみと苦渋の思ひ滲ませて防人の歌は拙くも佳き」(梧桐)