ただの報告や情報では歌ではない
「病院の鉄の扉を押し開けて知る人ぞ知る院の裏道」(小百合2006/7/15)
・・・それでどうなんですか?歌になりかかっていますが、これだけでは歌になっていませんね?何を詠もうとされたのか・・・?この裏道には何か秘密があるのですか?
なにか解からない歌になりましてすみません近道とゆうことです
近道ですか、どこへの近道ですか?「病院の鉄の扉」は一体どこにあるのでしょうか?普通は滅多に開かない鉄扉(てっぴ)なのでしょうか?それを小百合さんは知っている。それを開けばどこかへ行く近道があることをほとんどの入居者は知らないのですか?それを自分は知っているんだ、という優越感を詠いたいのですか?つまり、一体どんな感動なり情趣を詠もうとされているのか、ということなのですが。そのあたりをもう一度整理されて、詠み直されませんか?
「病院の鉄の扉を押し開けて施設に通じ近道なりて」(小百合)
施設というのは入所しておられるケアハウスのことですね。「病院の(裏手?の)鉄の扉を押し開けると、ケアハウスへの近道に出る」こういうことですね?ただ、これだけでは読む方は「ああそうですか」で終わってしまいましょう。こういう報告なり情報を聞いても、読者には何らの感興も起こりません。ですから、短歌にはなっていません、と言いました。与えられた情報だけでなるべく短歌らしく詠むと、例えば・・・
改作:
「ハウスへの近道なれば鉄の扉(と)を押し開きたり検診のあと」(小百合)