短歌とは

「雪のあさ朝日さしたるわが庭の木々にかぶりし雪またふかし」(御座さん2004年1月31日)
短歌は全然分かりません今から勉強したいと思っています、初めて作って見ましたが短歌と言えるでしょうか。 雪の庭を見て読みました。
そうですね、短歌は音節の数が5?7?5?7?7を基本とする定型短詩ですから、とにかく何かに感動したらこの形にあてはめて表現してみることですね。感動がある以上、短歌としてどんなに未成熟でも、短歌に違いありません。このお作など、正にそうです。短歌をたくさん作られるうちに、短歌独特の節調を感得されると思います。とにかく、この詩形に慣れることですね
なお、新たに短歌をよむ(作る)なら「詠む」です。すでに作られた短歌をよむ(鑑賞する)なら「読む」です。ですから、添え書きにある「雪の庭を見て読みました」は「雪の庭を見て詠みました」ですね。こうした基本からボツボツ勉強して下さい。
 お歌で、「雪のあさ朝日」では「あさ(朝)」が重なっていますね。(だから一方をひらがなとされたのでしょうけれど。)短歌は字数制限が厳しいですから、なるべく重複は避けたいものです。わざと同じ(ような)言葉を重ねてある種の効果を出すことはありますが、それは作歌経験が相当にあって、意識的にする一種の作歌技法ですので、最初のうちはあまり考えられない方がいいでしょう。
「木々にかぶりし」も何だか変ですね。それは「かぶる」が他動詞なのに自動詞的に使っておられるからです。この場合、後続の「雪」が目的語ですね。「木々の」なら、木々が雪をかぶった様が表現できます。(「の」は所有格の「の」ではなく「主格」の「の」で「が」に相当します。ですから、あるいは「木々が」ですね。)最後の「雪またふかし」の「また」がちょっとあいまいですね。かっても深かった、今朝も深い、という心でしょうか?あいまいさはなるべく避けたいものです。また、「雪」が二度出てきますね。これも重複です。
添削:
「目覚むれば朝日差しゐるわが庭の木々を覆ひて雪また深し」(御座さん)
こう詠めば、語の重複も解消され、また「また」も生きますね。「またこんなに積もったのか」という嘆息さえ聞こえてきます。