散文的?
「昨年の台風による塩害か庭の桜も咲くのは少し」(ゲンさんちの猫)
この季節例年ですとたくさんの花が咲き春にはさくらんぼが実る庭の桜の木ですが、昨年の台風による塩害の為か今年はほんの少ししか花が咲いていません。さくらんぼも今年は期待できそうにありません。
前回は、自分の目に見えているものが他人にも見えていると錯覚し独りよがりの歌になったようです。その反省の上で状況が伝わる様に詠ったつもりですがいかがでしょうか。宜しくお願いいたします。
「自分の目に見えているものが他人にも見えていると錯覚し・・・歌」を作るのは初心の人に共通の現象ですので、あまり気にされないで下さい。今回のお作は、そのことを気にされ過ぎてか、散文的になってしまいました。短歌としての(定型の)節調、語の流れ、音感、語感・・・が求められます。
添削(改作):
「台風による塩害が残るのかさくらんぼ用の桜も不調」(ゲンさんちの猫)
添削有り難うございます。
短歌教室は最初から目を通させて頂きました。
しかし、先生にせっかく添削して頂きながら十分理解できないでいる自分が不甲斐ないです。
そこで散文的にならない為のポイントなどありますでしょうか。短歌としての(定型の)節調、語の流れ、音感、語感等は歌を読み込むうちに自然と会得すべきものなのでしょうか。それとも基本がなっていないがために理解出来ないのでしょうか。
ご指導宜しくお願いいたします。
作歌は、才もありますが、何より慣れでしょうね。書かれていますように「短歌としての(定型の)節調、語の流れ、音感、語感等は歌を詠み込むうちに自然と会得」すべきものですね。(他人(ひと)の)短歌集をたくさん読んで鑑賞することも必要でしょうし。その場合、一人の歌人の歌集を集中して読むか、なるべく色々な歌人の歌集を読むか、ですが、わたしとしてはあとの方を勧めますね。歌から離れて、読書されることも役立つでしょう。これはされている?