短歌は字数制限が厳しい
「樺日と呼ぶ新聞の一ページ宗谷の門波ウエブにて見る」(暮秋)
もはや日本の領土ではなくなり、油田のことなどで国際問題になってもいるサハリンですが、なぜか地名などに興味があります。山口誓子(新比古=本名)が樺太日日新聞の叔父のところにいたのはわりと知られています。有名な俳句「流氷や宗谷の門波荒れやまず」から本歌取りならぬ俳句取りをちょっとやってみました。歌になるでしょうか。
サハリン問題というのは、今はガス田開発関連ですね。日本の大手企業などが2兆円もの巨費を投じているこの共同開発事業、クレムリンの一声で頓挫しかかっていますね。あちらにもそれなりの事情があるようですが、実に不誠実きわまりありません。アメリカまでが口を出し始めて、正に波高し、の情勢です。暮秋さんの場合、豊富な知識はいいのですが、知識のつまみ食いならぬ、つまみ取り、千鳥縫いで、歌意が透明ではありません。短歌は字数制限が厳しいですから、何を詠まれたいのか(読者にどんな感動を伝えたいのか)を整理され、定型化されてはいかがでしょうか?公表するからには、もっと読者を意識して作歌して欲しいと思います。複雑で直ぐには解からないように詠まれたものが深くて高尚な短歌だというのは間違いだと思います。本歌ならぬ本句と言われる誓子の俳句は、壮大なイメージが明瞭であり、句意も透明ですね。