ごとし と ごとく
「満ち足りて輝きはなつ若き母みどり児抱きて匂うがごとく」(波子)
最後の言葉、ごとしなのか、ごとくなのか活用形がわかりませんが、兎に角書いてみました。昨年夏、初めての子供を出産したお嫁さんと、初孫に会ったときの感想を歌ってみました。赤ん坊を抱いて授乳してるときなど、本当に満ち足りて幸福そうで美しいと感じました。お尋ねしたいことがあります、「吾子」という意味についてなのですが、自分の子、それも幼い子と限定された意味なのでしょうか?それとも年齢に関係なく自分の子供?あるいは、すべての人の子?すみません、教えてくださいませ、ひとづつ覚えなくちゃ!
初孫とあるから、お嫁さんというのは波子さんの息子さんの嫁さんですね?「嫁」でいいですね。「赤ん坊を抱いて授乳してるときなど、本当に満ち足りて幸福そうで美しいと感じました」・・・分かります、同感です。女性が一番かがやく時でしょうね。まあ、恋愛中も輝くわけですが・・・。語法に関してですが、「ごとく」ですと「匂うがごとく・・・輝きはなつ」と繋がりますね。前に戻って係るわけですが。「ごとし」ですと「みどり児抱きて匂うがごとし」ということで、前の「輝きはなつ」との縁が語法上は切れ、意味的にも繋がりが薄れますね。それは、この自作を読まれて感じられる通りです。すると「ごとく」か「ごとし」かは、どちらがより一層詠みたかった気分なのか、の問題ですね。なお、「吾子」(あこ)は「自分の子」「作者自身の子」ということで、対象は幼児に限られませんので、(幼い子、せいぜい少年少女であることが多いにしても)作品に詠う内容(その語の流れ具合)によっては青年も含むことがあり得ますね。90代の作者が70代の息子(娘)を「吾子」というかもしれません。「吾子七十われは九十五・・・」とかですね。もちろん大変まれですが。
添削:
「みどり児にお乳含ませ若き母匂ふがごとき輝き放つ」(波子)