重複感が否めない?

「松原の治水の杜の静けさや豊かな尾張野豊作の秋」(とよ子)
秋の一日、木曾三川公園へいってきました。こちらは、小学生の遠足で大変賑わっておりましたが、道路をはさんだ隣の治水神社は人影もなくひっそりとしておりました。何だか忘れられているようで、ちょっと寂しく思いました。こんな事を思うのも、歳のせい??おかげさまで、尾張野は豊かになりました。老人の独り言、、ごめんなさい、よろしくお願いします。

おっしゃるように、折角そこまで遠足したなら、生徒らに治水神社も見せて、治水の意義を説明すれば、よい教育になりますね。今のような機械類の無かった昔は、先人の皆さんが治水にいかに苦労されたか、思えば有り難いことです。お作「・・・豊かな・・・豊作」は重複感が否めません。あとは、さすがにお上手ですね。
添削:
「松原の治水の杜の静けさよこの尾張野の豊作の秋よ」(とよ子)