理屈っぽくならないように

「萩寺と言へども今は境内に椿や梅がはなやかに咲く」 (渓水さん2003/03/12
出張で日本に来られた折の作品とはいえ、最近ご投稿の短歌を拝見していますと、とてもカナダに住んでおられるとは思えません。心は日本ですね。
 歌の中の仲間とは、案外カナダの人なのでしょうね。「萩寺と言へども今は」という言い方は会話や散文ならいいですが、短歌では説明的あるいは理屈っぽいと思われそうです。むつかしいところですが。実際、椿や梅が咲いていれば、萩の季節ではないことは解りますからね。それより友を連れてきたということを言われるといいです。(はなやか、ということで、友を案内した甲斐も出ます。)また、萩寺という名称(通称ながら、固有名詞)を出すことで、今は椿や梅が華やかに咲いているけれど、秋には萩の花で境内は飾られるのだと、そう思いながら読者はこの歌を鑑賞でき、歌に味と奥行きが増すわけです。現に咲いていない萩の花が、頭の中で椿や梅と重なる効果があります。固有名詞がうまく使われる例ですね。すると、下のような添削となります。
添削:
「萩寺に友と来にけり境内は椿や梅がはなやかに咲く」 (渓水)

写生歌

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