語の斡旋

「花筏冬に入りてもそのままに小瓶の小枝三月目に入る」  (思ひ草さん2004年1月6日)
花筏の小さな枝を頂きまして、それを小さな瓶に差しておりました。 葉っぱの真中あたりに、小さな筏が1そうのっているような、なんとも あいらしく不思議な造形です。 もうすっかり水を揚げてはいないのですが、そのままです。 何時の間にか忘れていたのですが、又よく見てみまると、もう二月以上 経ってるのでした。

花筏は、花で飾った筏にも、川面に散って流れて行く桜の花びらの群れ、ないし花びら一つ一つについても言いますね。ここの花筏は木花としての花筏ですね。葉に乗っかるように花が咲く(そして実が生る)のでこの名があるようですが。(葉の方を筏に見立てての名前で、思ひ草さんの上の添え書きとはちょっと違うようです。)  お歌、珍しく語の流れ、斡旋が乱れていますね。
添削:
「花筏の小枝を瓶に挿ししまま冬に入りはや三月目(みつきめ)に入る」(思ひ草さん)
葉っぱが筏で実のところを船頭さんに見立てているのでしょうか。 葉っぱが川面のように思え、勘違いしておりました。 質問です。 「語の斡旋」について、何となくわかるようでよくわかりません。
語の流れ、語の音感への考慮、語の選び方、語の配置の仕方、などなど、作歌における言葉の使い方一般を「語の斡旋」と言います。
どうもありがとう御座いました。 「語の斡旋」を考慮することは、作歌そのものでもあるのですね。