語韻 余韻 について
「故郷へ心のとげを抜きに行く幼ら連れし昔もありぬ」 (槿花さん2002年9月4日)
心情が乗って、いい歌になっています。「故郷へ心のとげを抜きに行く」なんて、なかなか出来る表現ではありません。これは現在形ですが、今でも、という気持なのですね。あとの「昔」とちょっと相容れない感じではありますが。
添削:
「故郷へ心のとげを抜きに行く。かっては幼ら連れて行きしかな」(槿花)
(結句の字余りは、余韻を高めるために意識的にそうしたものです。)
短歌は定型詩であり、そのリズムが生命ですから、言葉の流れももちろんスムーズであらねばなりません。しかしそれは一要素。あまり流れ過ぎては歌が軽くなってしまう。(内容が軽いものならそれ相応ですがね。)歌材によってはむしろあまりスムーズに流れない方がいい場合もあるのです。あくまでも歌の内容に依存します。まず、歌材の選択ですね。語感なども大事ですしね。どんどん詠み込まれれば、自然に解ってくるものがあります。叙情詩と叙事詩。特に前者は語の選択、リズム、語感の心地よさ、余韻の含ませ方など、大切です。後者は、ともすると、内容に引きずられて散文的になり勝ちですが、そこを踏みとどまって、短歌としてのリズムは失うべきではないです。それがなかなか難しく、内容はいいことを捉えていても、歌になり切っていない歌をたくさん見掛けます。
なお、心理詠などもあります。これは一段と作歌がむつかしいが。
天才肌の人ならともかく、一般論として、たくさん詠んで、また他人の作品もたくさん読んで、短歌というものに慣れるよりしようがありませんね。すぐれた文章力のある作家の小説をたくさん読むことも役に立つ筈。焦らずにボチボチと、頑張ってください。Slow and steady win the race!まあ、短歌をやることは勝つことではありませんが、あくまでも比喩ということで。