表意文字としての漢字の特性
「やはらかきひかりさしこめる窓辺にて検水管を透かしつつ見る」(幸乃さん2001年9月17日)
「検水管」はあまり一般には使わない語ですね。水を使う装置などで、水量や水の状態を目で見て検査・調査するために付けられた透明なガラス管ですね。それを秋の柔らかい日差しに透かして見ているのですね。幸乃さんの仕事の一端がうかがえそうです。「さし込む」は「射し込む」とも,「差し込む」とも書きます。前の方が一層強い日差しを思わせますね。
添削
「やはらかな秋の日が差す窓辺にて検水管を透かしつつ観る」 (幸乃)
「観る」は集中して見ることですから、ここでは「見る」よりふさわしいです。「見(けん)の眼」、また「観(かん)の眼」といいます。前者は、「うらやかに見る目」であり,対象の全体像を捉えようとするときの眼です。後者は「注視する眼、対象の細部・局部を見極めようとする眼」です。現代ではその使い分けはあいまいですが、短歌では表意文字としての漢字の特性を生かしたいものです。