目
- 2020.12.16
- 生活詠 死生観・宗教・思索、歴史
目が前についているのは前見るため 生きる姿勢を示してもいる
2000年11月に梧桐学のの短歌ホームページ「ものぐさ」を開設し、2001年10月に「短歌添削BBS」を設置しましたが、そこに投稿させて頂いた梧桐学の短歌を収納しています。スマートフォンからのアクセスの方は画像のリンクではなくメニューアイコンを開いて各ページへ移動してください。
目が前についているのは前見るため 生きる姿勢を示してもいる
人体はすべての部分が連携すと。元を辿れば一つの受精卵
“進化現象”自体に合目的的なる‘意志’なくば“人”にまで進化は至らざまし “進化現象”に合目的的なる‘意志’あらむ されど何の意志かは人智のほかなり
唐突に或る思念過ぐそののちは人間世界の悲しさの満つ
老子言ふ「有は無より生ず」とぞ現代量子論では極微(ごくみ)は無とも
孫ら去りまた来ては去る新しく生まるる孫もありてよろしも あっけなく転がる蝉の亡骸(なきがら)の陽に灼かれつつ物をこそ思へ 過去といふ影絵の上に今を生き向かふは未来とふまぼろしの洞(ほら) ———————– 人間界俯瞰し適確に制御する存在なきが不幸の根源
めらめらと思惟野(しいや)もえたつ 心なす量子ことごとく火を噴き止まず
「‘辞書’‘辞典’は‘聖典’にあらず」は正論ならむ何ごとも丸呑みにすべきにあらず
過去未来はなべて幻想 現在とふ時間の尖点のみに生きてをるなり
「無」は「无」とも書き「天」に酷似 天は満つるなく無といふことか