添削は絶対こうでなければいけませんと言う種類のものではありません
「大人びて吾(わ)を諭す子にフ、と笑むは「あーちゃん」と纏うを抱きしめた日々」(すずむし)
今は二人とも大人びて何かと私を諭す子供たち。「うん、そうだね」「わかった」「ごめん」など あいづちを打ちながら、内心幼かった頃のことを、写真を見ながら思い出し・・・嬉しいような、悔しいような・・・。
子供たちの成長は早いですからねぇ。。。「老いては子に従い・・」とは言いますが、諭すように言われては、嬉しいだけではなく、悔しくもありますね。
添削: 「「かーちゃん」と纏はりくるを抱きしめし子らなり今は吾を諭し言ふ」(すずむし)
先生!子供たちは誰も教えないのに、お母さんといえない頃「あーちゃん」と呼んだのです。二人目もそうでした。「あーちゃん」では駄目ですか?
「あーちゃん」は「かーちゃん」のミスタイプかと思ったのです。それと、「あーちゃん」とされると大抵の人はそう思うでしょうね。もちろん、すずむしさんとしては「あーちゃん」とされたいわけですから、そうされては?それに、元々添削は絶対こうでなければいけません、という種類のものではありません。こうされたら(原作より)よくなるでしょう、ご参考に、というものです。唯一絶対の添削などありません。