白蓮の短歌
- 2017.03.26
白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし無人称化してゐるゆゑと思へり 白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし普遍化されし“われ”なればなり 白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし読む人が自分に擬(なぞ)らふるゆゑに (白蓮歌の例: 『われはここに神はいづくにましますや星のまたたき寂しき夜なり』 『わたつ海の沖に火もゆる火の国にわれあり誰そや思はれ人は』 『そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがう […]
梧桐学が日々詠んだ歌の収納庫です。
白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし無人称化してゐるゆゑと思へり 白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし普遍化されし“われ”なればなり 白蓮歌によく「われ」と言ふも嫌味なし読む人が自分に擬(なぞ)らふるゆゑに (白蓮歌の例: 『われはここに神はいづくにましますや星のまたたき寂しき夜なり』 『わたつ海の沖に火もゆる火の国にわれあり誰そや思はれ人は』 『そこひなき闇にかがやく星のごとわれの命をわがう […]
遷都して間なきに旧都の荒れたりと嘆く歌多し‘時’は魔物と
短詩とは最少数の‘語’によりて連続無限の‘情’を起こすもの
人は所詮元素の集まり、万葉集(まんえふ)にも『假合(けがふ)の身ゆゑ滅び易し』と
万葉の難読歌にはいくつもの読みあり ほかは大丈夫だらうか
万葉歌に“多麻之比(たましひ)”とふ語を見てなぜか脳髄の襞(ひだ)が一瞬そよぐ
無名なる歌人の短歌(うた)の中にして思はず「すごい」と唸る作あり
一読で解る短歌(うた)をばその故に蔑(なみ)する論は真髄の外(ほか)
群雲(むらぐも)に高低ありて雲の上を雲走る見ゆ気侭な風に 忘れ得ぬ名歌のひとつ実定(さねさだ)の「・・入る日を洗ふ沖つ白波」
万葉仮名より万葉歌へと書き下すに唯一の仕方と思へぬ歌多し つらつらと不思議なりけり万葉歌の漢字表記はたれがなしけん 一音一字の万葉歌より仮名文字が生まれき 誰が始めたりけん 現代風に心理の揺れを詠ふもあり「万葉歌は雄渾」とふ説は嘘なり 万葉の相聞歌には他人(ひと)の噂気にするものがあまりに多し