いにしへの歌人ら
- 2019.01.05
古韻なれど古典的歌人らをつくづくとプロの歌詠みとあらためて思ふ
梧桐学が日々詠んだ歌の収納庫です。
古韻なれど古典的歌人らをつくづくとプロの歌詠みとあらためて思ふ
しみじみと苦渋の思ひ滲ませて防人の歌は拙くも佳き
「英国詩人 百人一首を英訳して和歌こそ日本の心と断ず」
「2000年の歌集群の抜粋読む。比して現今歌力衰ふ」
「思へらく万葉に詠む七夕の天の河いかに際(きは)やかなりしか」
配流の夫を恋ひて:『帰りける人来(きた)れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて』(狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)): これが万葉の歌かと驚く弟上娘子の夫(つま)を恋ふる短歌に
美しき短歌(うた)を詠まんと思へども世情の汚れがそれを妨ぐ
‘短歌’といふ針の穴より世界を観、宇宙を観てゐる楽しからずや
(新仮名) 万葉の相聞歌には人の目を気にする歌が多いのはなぜ 柿本人麻呂歌集の歌はいづれも極端に字数が少ないのはなぜ? 人麻呂歌集の歌は字数が少なくて読み下し方は一つではあるまい
特に英語が日本語を蚕食してゆくが短歌や俳句があるので大丈夫