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「激痛も意味ある生の証とぞ終末医療を否定する論」

「人生無意味症候群が現代の最も悪しき病といふ論」

「人生の意味を問ひたきこと自体最も悪しき病といふ論」

上の歌の論は、肉体的になんの不具合もない人の論ですので。To be or not to be, that is the question. の類の人生論です。物があふれ飽食の時代、そうした日常の懶惰に流され、創造性・想像性が枯渇するとき、人は生きていること自体に疑問を抱くようになる。何故生きているのかが分からなくなる。それが昂じれば自殺にまで繋がりましょう。これ、正に病めるしるしですね。主として精神的な病ですが、それがやがて肉体をも蝕む。現代はこうした状況だというのです。あるいは、相次ぐ戦乱で将来の夢を完全に失った(と自分が思う)人々も、同様な心理状態に陥り易いですね。やはり健全とは言えますまい。最初の論は、そうした現代病が蔓延する中で、病床で病と最後の戰いをしている人の味わう苦痛は、まさに生きているからの苦痛であり、それ以上の生の証はあり得ないのに、現代の終末医療はその苦痛を和らげ、無くそうと躍起になって努める。それは病者から最後の生きている実感を奪う行為だというのです。そうした行為と、人生は無意味だというニヒルな感覚と同類だとも言う。苦労から逃げる、苦痛から逃げる。その果は、人生そのものの意義を喪失してしまう。それが現代の「人生無意味症候群」を作っているというのが第二の論ですね。つまり、その状況自体が最も悪い現代病だというのです。第3の論は、そうした人生とは?人は何ゆえに生きているのか、人生に意味があるのかないのか、といった議論がされるようになっている状況自体を捉え、それこそ正に根源的な現代の病魔だというものです。活力に満ち満ち、生産と消費をバランスよく盛んにし続ける状況では、上のような人生論や人生無意味症候群など出てくる余地すらない、それはまさに若若しい社会なのであって、そうではなく色々悩むということは、現代の人間社会自体が衰え始めている徴(しるし)ではないか、というものです。第3の論は前2つの論を、一理あるとしながらも、結局否定していますね。
 こういうわけで、上の3首は個々人の問題をいうのではなく、社会全体の風潮なり傾向に警鐘を鳴らしている論を詠ったものなのです。