語韻 余韻 について

短歌には定型詩としての言葉の美しさ、リズム感が必要?そして人にいろいろな意味での感動を与える内容を盛り込む?・・・・そういう手だけとして語韻とか余韻とかいうものがあるようですがそれっていったいどんなことですか?
「飢餓ゆえに言葉失う人ありて言葉に飢えし我は痴れ者」 (酔狂さん2001年7月14日
酔狂さんの作品は迫力があり、力があります。今回の作品はそれに応えるだけの歌材・内容ですね。これにさらに言葉つまり詩語としての美質を求めるのは酷というものかも。それが酔狂さんの個性ならば、なおさらです。これはこれでいいと思います。
もちろん、あおぎりなりの添削・改作は出来ます。
添削・改作(梧桐):
「飢餓ゆゑに言葉失ふありといふ言葉に飢うる吾は痴れ者か」 (酔狂)
これで語の流れもよくなり、緩むところなく、語韻も悪くない、余韻もそこそこの、一級品の文語正統派短歌が出来ました。結句、原案のように言い切るのではなく、上のようにすれば余韻が深くなるわけです。語韻とか余韻は短歌の生命を担う重要な因子です。日本語の美しさの一側面です。
 勿論、酔狂さんが捉えた歌材が良かったから、このような含蓄ある秀歌が出来たのです。ほとんど酔狂さんのお手柄です。
(注:「言葉失ふありといふ」=言葉を失う者があるという、の意味。
「失ふ」は連体形で、それを受ける連体語(「者」)を省略した形。「飢うる」は「飢う」の連体形。「飢う」は下二段活用の動詞。飢ゑ、飢ゑ、飢う、飢うる、飢うれ、飢ゑよ、と活用(変化)する。)