柿本人麻呂を訪ねて(10月20日21日)

柿本人麻呂を訪ねて(10月20日21日)

万葉集の有名な歌人柿本人麻呂の一生は謎に包まれているのだそうです。
特にその末路に関しては諸説があり
歌人の斉藤茂吉は石見国で流行病に斃れたと言い大山隠岐国立公園・三瓶山のふもと島根県邑智郡邑智町湯抱を終焉の地としたそうです。
また、哲学者の
梅原猛は第一回大佛次郎賞を受賞した『水底の歌』で「新人麻呂論」を展開し
持統・文武朝で何らかの事件に巻き込まれ失脚し、最終的に石見(いわみ)国(現島根県)に流され、そこで水死刑に処せられたと言っているそうです。

この『水底の歌』の影響か、あおぎりが、ぜひ一度、 梅原猛が人麻呂の終焉の地とした、今はもう無い、鴨島があったとされる益田市を訪れたいということで
柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされている戸田柿本神社、高津柿本神、三里ヶ浜、鴨島跡展望地などを訪ねました。
参考サイト
http://www.kankou.pref.shimane.jp/mag/04/11/ht02.html

 10月20日
「人麿の生き死にのことが伝承と検証の間(ま)におぼろに揺れて」
 

戸田柿本神社
  戸田神社への途中で見た高津川河口の風景
三里が浜沿いに山口県方面に暫く行き少し山手に入りました
静かなたたずまいの柿本神社鳥居
 戸田柿本神社由緒記
  石垣の飾り   柿の字が目立ちます  本殿の屋根
本殿
 この地方独特の瓦屋根の社務所  宝物殿?  ご神体の説明看板  案内看板
   地区内にあった生誕の地の石碑  地区内にあった人麻呂の墓(遺髪塚)  

 戸田柿本神社は柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされているそうです。
梅原猛氏が1977年、戸田柿本神社宮司綾部家にある人麻呂の遺髪塚(墓所)を発掘調査した時、奈良時代までさかのぼれる可能性がある土器の破片が出土したそうです。 これを根拠に地元には、人麻呂の死後に縁者が骨をもらい受け、この地で霊を弔ったという言い伝えを裏付けるものだと考える人もいるそうですが骨は見つかっていないそうです。
 
 10月21日

高津柿本神社
早朝の高津柿本神社
 万葉の植物と歌が出迎えてくれます  高津柿本神社桜門  「石見路に歌の神あり月の秋」の句碑
 神社本殿を望む   人麻呂辞世の歌碑  鴨島遺跡海底調査の説明  海底から引き上げられた石
 人麻呂社の額
人麻呂の像
 万葉公園への道  鴨島遠望台の碑
 万葉の植物と歌  益田市街と人麻呂の歌  益田市街と人麻呂の歌  この地方独特の瓦屋根が見える

 万葉公園に隣接した高津柿本神社は益田の人達の憩いの場所でもあるようで朝からお掃除をしていたり、ウォーキングをしている人達を眼にしました。
昭和52年に梅原猛氏を団長とする調査団が鴨島跡の海底調査を実施し、万寿3年の津波が推定される結果が出たと言われているそうです。 この時海底から引き上げられた、階段の石ではないかと思われる石が境内に置かれていました。
 

鴨島跡地遠望の碑を探して 久城が浜センター
 インターネットで大体の場所をみつけ  そのあたりをナビに登録  近くのお店で聞いてもそれなに?って感じ  きっとこの辺にと海岸に出て探すけれど
 それらしい碑はみつかりません
綺麗な山陰の海なのに・・・
 草木が生えていますが砂丘のようです  その砂丘に上り
 草木をかき分け
線路を越えて
 人家のあるところへ戻りこのお宅で伺うと  そのような碑を見たことがあると・・・
教えて頂いてやっと出会えましたこの碑
 こんなところにあるなんて・・・  海岸ではなく  海を望める九城が浜センター(屎尿処理場)の入り口にありました


 益田市のホームページに鴨島跡展望地の碑の写真があり 検索すると「しまね観光ナビ」というサイトで鴨島跡展望地の紹介がありました。もう少し調べると益田市観光協会の観光マップに大体の場所が示されています。この場所をナビに登録してすぐにわかるだろうと出かけたのですが・・・道はくねくねと細い道が幾つもありナビが示した位置のそばに車を置いて海岸に出てみましたが何もみつかりません。近くのお店の人などに聞いても皆さんそれは何かしら?という状態です。再び場所を少し変えて車を置いて海岸を少し歩きましたがそれらしいものは見えません。海岸の背後は砂丘で雑草や背の低い松が茂っています。砂丘に上る小道がありそれに沿って人家のある方に戻り、諦めかけたのですが、ちょうどお庭仕事をしているらしい声が聞こえるお宅があったので思い切って声をかけ伺ったら、奥様がそれらしいものがあると・・ご主人は半信半疑でしたが屎尿処理場のところ(久城が浜センター)という奥様の説明でわざわざ地図を書いて教えて下さいました。「違うかもしれないけれど見晴らしの良いところですよ」という言葉に励まされ地図を片手に曲がりくねった道を行くと・・・ありました。まさに写真で見た鴨島跡遠望地の碑でした。

島根県益田市久城町1199-1

Latitude : 34.7048724
Longitude : 131.8401229

 

辛の崎
 高津川沿いに戻り  次は人麻呂の長歌に出てくる  辛の崎を探して江津市へ向かいました  綺麗な海岸
 それらしき案内があったものの  辛の崎はとうとうみつかりませんでした  灯台のある岬、大崎鼻にあった  この石碑で我慢しました
   見下ろす海岸線沿いに  辛の崎はあるのでしょう  

 石見銀山に向かう途中に、人麻呂の巻?―135の長歌に詠まれる「辛の崎]はこのあたりだと沢潟久孝博士(故人)が推定したという場所があり、そこに辛の崎の歌碑があるとまっぷるnetのページに書いていました。しかし書かれていた住所だけではわかりにくく付近をうろうろして灯台の見える大崎鼻に上ってみました。するとありました。
つのさそふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる
海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生ふる
荒磯(ありそ)にぞ 玉藻は生ふる・・・・・・
と書かれた歌碑が!灯台まで行き海を眺めたかったのですが時間が無く断念しました。