過去ログ[1] |
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「はらはらと桜葉肩に舞いおちる紅一葉を手帳に挿む」(たかこ)
墓参の帰り道桜並木でのことです。あまりにも紅の色がきれいで大きくもないので手帳にはさみました。先生何時もお忙しい中有難うございます。
桜紅葉(もみじ)もきれいですね。今その時期ですね。そのうち、あっという間に散ってしまいますが。お作では、その桜もみじが一層美しく思われます。
添削:
「ひるがへり肩をかすめて舞ひおちし紅一葉を手帳に挿む」(たかこ)
(歌では特に桜でなくてもよろしかろうと・・・。いい歌ですね。)
「船員でありしかの日を思いつつ汚れし地球儀ねんごろに拭く」(勘太郎)
しばらくご無沙汰いたしました。いろいろございまして身辺整理などをしておりましたら、汚れた地球儀などがでてまいりました。
青春時代は、船員であったことを思い出しながら、丁寧に磨いたのでいた。又よろしくお願いします。
お久し振りですね。「青春時代は、船員であった」とのことですが、相当に広範囲の海を航海されたのでしょう。「地球儀」はたまたま出てきたようですが、お作では「船員でありしかの日」とぴたりと合っていますね。
添削:
「青春期の航海の日々を思ひつつ汚れし地球儀ねんごろに拭く」(勘太郎)
(いい歌ですね。)
「ストーブに火入れる程には寒くなく背なを丸めて朝刊読めり」(がんてつ)
日中はともかく朝晩の冷え方はジッとしてると寒ささえ感じる頃となりました。かと言ってストーブを焚く程ではないし・・・中途半端は困ります。
今は中途半端に寒い、ということですね。なるほど、と思います。うまいことを言われますね。わたしも、朝など、毛糸のチョッキを着ようかと思い、まだ10月じゃあないか、と自分に言い聞かせて着ずに居ます。寒さが中途半端です、全く。それを、お作では「ストーブに火入れる程には寒くなく」と表現されましたね。「・・だが、それでもやはり寒いので・・背なを丸めて朝刊読めり」と続くわけですね。うまいものです。
添削(新仮名):
「ストーブに火入れる程ではないけれど背(せな)を丸めて朝刊を読む」(がんてつ)
(今の季節感を詠んで、いい歌ですね。)
「珍しく電話の向こうで弱音吐く母よ貴女は未だ未だ卒寿」(がんてつ)
戦後の混乱期に女手一つで、私共三兄弟を育ててくれた母も、遂に90歳の大台に乗りました。つい最近迄、敬老会へ行くのを拒否する程、元気で気丈な母ですが、この度白内障の手術を前にして、発熱で体調が悪いとこぼしていました。結局はキャンセルしたんですが、弱音は似合わないよ!と励ましの言葉を掛けましたがどう受け取ってくれましたやら、です。
ご母堂はいよいよ90歳台に乗られましたか。がんてつさんのお母さんですから気丈な方であることは想像出来ます。そうはいいましても、身体の各所がいたんでくるのも止むを得ないお歳。がんてつさんのこの励ましの歌で、きっと元気付けられたことでしょう。「母よ貴女は未だ未だ卒寿」・・・自分の年齢に負けそうなご高齢の方すべてに聞いて欲しいセリフです。いい歌ですね。
「薄霜がひそと降り来るあしたには薄っすら白い落ち葉眺める」(夢子)
先生ついに霜がやってきました!落ち葉を掃き溜めていた所が薄っすらと白くなっていました。
いやー、このお作も、特に後半は見事ですねぇ。落葉を詠んだ歌は無数にあるでしょうが、霜で「薄っすら白い落ち葉」などという表現は初めてです。それにしても、そちらはもう霜ですか。能登の自然はとても美しいですが、また厳しいようですね。
添削(新仮名):
「初霜がついに降(お)りたか朝庭にうっすら白い落ち葉が散らばる」(夢子)
添削ー2(改作;旧仮名):
「初霜のつひに降(お)りしや朝庭にほんのり白き落葉ちらばる」(夢子)
(添削ー2で決まりですね。いい歌です。)
「蟹売りの電球揺るぎ無言歌のやうな風吹く大通り公園」(迷倫)
夜の大通り公園に出かけました。テレビ塔が修理中でライトが消えていることもあって人影もまばらで寂しい風景でした。夜ともなるとさすがに風が冷たく冬が遠くないことを思わせました。
北海道は晩秋から初冬へ・・の気配のようですね。「電球揺るぎ」は「揺らぎ」でしょうか?電球がゆるんでいて明滅しているのなら「ゆるみ」(緩み)でしょうし。「無言歌のやうな風吹く」は、添え書きの「・・人影もまばらで寂しい風景でした。夜ともなるとさすがに風が冷たく冬が遠くないことを思わせました」という情況に照応しいるいい表現ですね。
添削:
「蟹売りの電球ゆれて無言歌のやうな風吹く大通り公園」(迷倫)
(いい歌ですね。)
「寒寒と晩秋の夜は深まりて過疎化過疎化と枯れ葉が落ちる」(夢子)
この町の行く末を考えて居ましたらこんな歌になってしまいした(ーー;)
「過疎化過疎化」が枯葉の「カサカサ」と音(おん)が通うわけですね。なるほど。また「過疎化」という語はうらぶれて寂しい晩秋の夜をよく象徴しているようでもあります。地方の町村の過疎化を少子化が一層加速するようですね。医師不足の問題はありませんか?迷倫さんのような奇特なお医者さんは減る一方でもあり・・・。お作、言葉遊びのように見えて、決してそうではありませんね。本音の深い陰影が出ています。むしろ、夢子さんならではの、いい歌ですね。
おはようございます(^^)。今朝は久しぶりの雨の朝になりました、月曜日の雨は嫌です・・・。
「昨日今日あしたへ続く道あるを疑わずいる吾に百舌鳴く」(夢子)
百舌が鳴き出しました!この鳥が鳴くといよいよ冬が近くなってきます・・・・百舌は冬に備えて準備をしていますが・・・・夢子は特別何もしていません時どきこれでいいのかな〜とこの時期は思うことが増えてきて少し不安な気持になりますが〜。
月曜日の雨は嫌いとか。こちらも(午前中は曇で頑張っていましたが)今とうとう降ってきました。百舌が鳴き出してそろそろ冬の準備ですか。鳥たちは時期に応じてやることが決まっているのでしょうね。迷うことはなさそうです。それに引き換え、人は時には不安になったりして・・・。このお作も上手いものですね。第四句までは誰しもそうなんだ、と気付かされます。結句の締めも効果的です。
「昨日今日あしたへ続く道あるを疑わずいる私に百舌鳴く」(夢子)
(いい歌ですね。)
「真っ青な秋空見上げ伸びすれば縮んだ心が深呼吸する」(民子)
時間に追われ目の前にある「やるべきこと」ばかりに心を奪われていると、知らず知らずに目線が下へ下へと向いてしまいます。目線を思い切り上にあげてみたら、なんと素晴らしい秋の空!!肺が深呼吸するのではなく、心が深呼吸した感じがしました。
肺が深呼吸をし、同時に心が深呼吸したのですね?かって坂本九ちゃんが盛んに歌いました「上を向いて歩こう」と。もっとも「涙がこぼれないように」と続き、ここでのご趣旨と違うようではありますが、根は同じでしょうね。「時間に追われ目の前にある「やるべきこと」ばかりに心を奪われていると、知らず知らずに目線が下へ下へと向いてしまいます」とおっしゃる。これは大変によいことを言われていると思いました。そのように自覚出来ず、ずーと俯いてばかりいる人も結構多いと思われるのです。下を向かなくても、大変に狭い世界に閉じこもってしまう。民子さんはしっかりと自分を客観視されている。だから、自分の習性のゆがみを(ひどくなる前に)修正出来るわけですね。働く多くの人たちに聞かせたい言葉です。
添削:
「真っ青な秋空見上げ背を伸ばせば縮んだ心が深呼吸する」(民子)
(いい歌だと思いました。)
「朽ちかけた土塀は萩の影映し私の影も引き込んでゆく」(紗柚)
ご旅行から帰られての添削有難うございました。とても美しい歌にしていただきました。山の秋はいかがでしたでしょうか。私は家の付近の京都郊外や市内で紅葉前の小さな秋を楽しんでいます。朽ちかけた土塀沿いに萩の咲く道があります。秋の日差を受けて塀に映る萩も味わいがあります。眺めているともう一つの世界、塀に映る影の世界に暫くこもっていたいような気分になりました。
お陰様で山の秋を満喫出来ました。お作、「土塀は萩の影映し」とありますね。萩は影もさまになるのすね。日を浴びている萩、影を落とす萩。陽と陰、陰と陽、共に内包し、共に顕現させ、相矛盾するものを包含し間然するところがなく、一層高い調和を示す。これを止揚(揚棄、アウフヘーベン)という・・・。つまり、お作には哲学の影が見られます。
「朽ちかけの土塀が萩の影映し私の影も引き込まれゆく」(紗柚)
(いい歌ですね。)
「墓経の僧に日傘を差し掛くる妻のうなじに汗の一筋」(yoshi)
盂蘭盆にお墓参りをしました。ことのほか残暑厳しく、午前11時ごろでしたが、既に気温は30度を超えていたかと思います。かんかん照りの中での墓地での読経は、私たち家族にもちょっとした苦行?でしたが、墓経をあげてくれた80歳近い老僧にとっては、なおのこと難儀なお勤めには違いないだろうなあ−と思いながら、有り難く経を聞かせていただきました。
お坊さんは徳を積まれるためか大抵は長寿ですね。この老僧もほぼ80歳とのことですが。しかし、おっしゃるように炎天下での読経はつらいに違いありません。奥さんの心遣いはさすがですね。その奥さんの「うなじに汗の一筋」を目敏く見付け、気にされるyoshiさんも優しいお方です。お作から、場面がありありと目に浮かびます。
「墓経(はかぎゃう)の僧に日傘を差掛くる妻のうなじに汗の一筋」(yoshi)
(いい歌ですね。)
「野の道に途切れとぎれに鳴く虫の沈黙ありて命せつなし」(白嶺)
深まりゆく秋の野の虫は、細々と、途切れとぎれに鳴いています。その沈黙の間に力を蓄え命の限り鳴き続ける虫たち・・・添削よろしくお願いいたします。
間をおいて(弱々しい?)虫の音が聞こえるのですね。その間の沈黙が切ないと。
改作:
「絶え絶えに虫の音聞こえ野の道に静寂の間の切なく寂し」(白嶺)
(いい歌ですね。)
「流れくる水流れゆく水狩野川に秋を写し秋を運びて」(宋見)
上から流れてくる水を眺めていて振り返って流れ行く水を眺めハッとしました、私の心の中まで変わってしまうような一変してしまう眺めに驚き、静かに雲を映し木の葉の秋を運んでくる狩野川の流れ。第一句が7音になってしまいましたが「水」をきってしまったほうが良いのでしょうか?「水」を残したほうがよいか迷っています。ご指導お願いいたします。
平生気にしないようなことがある日ある時、何かの啓示のように、まったく新しいこととして現前するという、これは好例ですね。自分が現在に生きていることを実感されたことでしょう。
改作:
「流れ来て流れ去る水 狩野川は秋去らすべく秋運び来る」(宋見)
(いい歌ですね。)
「萩の波に映るやさしき人影が立ち止まりてはそっと去り行く」(紗柚)
加茂川に面した通りにある小さなお寺は今、萩が満開です。人一人通るのがやっとの本堂までの狭い石畳、両脇は地面までしなだれるミヤギノ萩に覆われてトンネルのようです。余にも小さな寺なので来る人は殆ど奥まで入らず山門付近から眺めます。下手をすると地面に垂れる萩の花を踏みつけてしまいそうです。私も門の片隅の石段に座って見ていました。明るい日差の中訪れる人の影が風にゆれる萩の花に映ります。皆やさしく見えます。
それは萩寺とでも呼ぶべきお寺ですね。「ミヤギノ萩に覆われてトンネルのようです」とありますが、満開の萩、見たいものです。
添削(改作):
「波なせる萩に人らの影来てはとどまりそっと去り行くその間」>(紗柚)
(いい歌ですね。)
「「八十歳(はちじふ)か」と言ひつつ義母(はは)は背を伸ばし日傘差しゆく秋桜街道」(迷倫)
義母が敬老の日を前に80歳になりました。傘寿に因んだお祝いに日傘を贈りました。
敬老の日に傘寿を祝って日傘を贈られた・・。心憎い贈り物ですね。お作の中の日傘は迷倫さんからの贈り物なのですね。「背を伸ばし日傘差しゆく」ですか。益々お元気のようで、何よりですね。「80歳で迎えが来たら、まだまだ早いと追い返す」という文句がありますが、それ以上の元気さ・・。いい歌ですね。
「この路地も盛り過ぎたるコスモスの花遊びゐる秋となりけり」(白嶺)
住宅街の路地をよく歩きます。どの路地も盛りの過ぎたコスモスの花が秋の風に揺れています。間もなくコスモスの花は散ってしまうでしょう。日ごとに深まり行く秋です。添削よろしくお願いいたします。
そちらはコスモスがもう盛り過ぎたのですか。こちらはこれからですが・・・。「日ごとに深まり行く秋です」とのこと、実感が篭っていますね。こちらでは今日も最高が33℃の真夏日で、しかも雨後なので蒸し暑いこと!お作で「なりけり」の語法は少々変ですね。「過ぎたる・・・遊びゐる」も合わないのではないでしょうか?
添削:
「路地裏に盛りの過ぎしコスモスの花うつろなる秋の深まり」(白嶺)
(いい歌ですね。)
「幼子が手を伸ばし父の手を握る二人の間に緩やかな線」(優子)
この前の夕方。私の前を歩いてた女の子とパパ。ゆるゆると女の子の手が伸びてパパの手を握りました。その瞬間、なんだかよくわかりませんが私の気持ちが温かくなった。いいなぁ、親子。手のひらでジョイントされて二人の腕がやわらかな線になりました。その夜、たまたま息子とスカイプで話しました。ケーキ作りのコースはとても楽しいらしいです。日本人はひとりだけどインド人やバングラディシュ人の友だちもでき、いい感じや、と言ってました。ほっ。
うまいところを捉えますねぇ。。。パパからではなく、女の子の方から手を伸ばしたところがまたいいですね。世の男たちは、きっとそういう父親になりたいと思っていますね。ケーキ作りコースの話をしながら、オーストラリアに居るご子息のシュン君は、そこから優子ママに手を伸ばして来ていますね。
添削:
「女の子が手を伸ばし父の手を握る出来た緩やかな線がまぶしい」(優子)
(いい歌です。)
「望遠のレンズでググ〜ンと引き寄せし十八番グリーンに赤トンボ飛び交う」(がんてつ)
昨日行われた福岡での「アンダーアーマーKBCオーガスタゴルフトーナメント」でのひとコマです。勿論、テレビでの観戦ですが、カメラがパッティンググリーンをアップにしますと、緑をバックに沢山の赤トンボが飛び交ったり横切ったりしていました。時折でしたがハッキリと赤が見て取れましたので、秋は確実に近づいてきているようです。
テレビで、十八番グリーンを大アップで映したとき、赤トンボが飛び交っているのが見られたのですね。もうすっかり赤くなっていて、それがまた季(とき)は秋、を感じさせたのでしょう。望遠レンズの精緻さ。もっとも、天体観測に使われるレンズ(反射型望遠鏡など)を思えば、そう驚くことではないのかも知れません。この一首、面白いところを捉えて詠まれましたね。
「望遠のレンズでググ〜ンと引き寄せし十八番グリーンに赤トンボ飛び交ふ」(がんてつ)
(いい歌です。)
「朝顔の揃いの浴衣を湯上りに母着せくれしは夏祭りの夜」(すめーちゃん)
夏祭りの夜に母が三姉妹に浴衣を着せてくれた様子がふっと思い出されて歌に詠んでみました。朝顔の鮮やかな浴衣が今も記憶の中にあります。宜しくお願いいたします。先生、私の趣味のキルトをプロの技と言って頂き嬉しくおもいます。少しずつ作り貯めていた作品をカメラに納めてジャンル別に整理しています。日々作品に触れて生活していますが、改めて私の足跡として残しておこうと又皆様に観て頂きたい、元気になればあれもこれも作ろうと意欲も湧いてきました。又BBSに掲載させてくださいませ。
朝顔の模様が入った浴衣を、湯上りの三人姉妹が着られ、そろって歩かれる・・・いいなぁ。。。(貴重なキルト作品の映像をどしどしお見せ下さい。みなさんもお待ちでしょう。)
「朝顔の揃ひの浴衣を湯上りに母着せくれしは夏祭りの夜」(すめーちゃん)
(いい歌ですね。)
「糠味噌にきゅうり大根茄子などを漬けつつ家族の笑顔を思ふ」(和)
乳酸菌が豊富な糠漬け、我が家では皆んな大好きで食卓には欠かすことが出来ません。この季節は、冷やした胡瓜や茄子が美味しいと喜んでくれますので、もっと美味しく、と色々工夫しています。いつもご指導有難うございます。
「我が家族皆んな大好き」とありますが、何人のご家族なのでしょうか。ご夫君と二人でお暮らしと思っていましたが・・・。家族のことを思い、主婦として漬物にも色々と工夫しておられるわけですね。今回のお作は、何のこともない、日常のことをすらりと詠まれていますが、却って和さんの本来の(平生の)姿がよく窺えます。文句なしにいい歌です。
「七年半連れ添う夫は私より私に似合う服を見立てる」(麻里子)
よく理解してくれて,幸せだと思いました。明日から旅行に行って参ります。
これは上手く詠まれました。詠む、というより自然に出来た、という感じですね。ピタリと決まっています。いい歌ですね。それに何といいご夫君であることよ。明日から旅行とか。道中気を付けて、大いに楽しんできて下さい。
もう!田んぼは実りの時を迎えて風が吹くと稲穂が重くなびいています(^^♪
八月は稲の膨らむ音がして「うまいうまい」と陽を食う田んぼ
そちらでは「もう!田んぼは実りの時を迎えて」いますか。稲の穂がどんどん成長していくさまを的確に詠まれましたね。うまいものです。夢子さんの場合、稲の気持ちにすーとなれるから、このように擬人化しても嫌味が全くありません。こういう詠い方は余人にはちょっと真似出来ないでしょうね。
「八月は稲穂ふくらむ音がして「うまいうまい」と陽を食う田んぼ」(夢子)
(傑作で、いい歌です。)
「しりとりで紡ぐ言葉は六歳の吾子の広がる世界を映す」(麻里子)
息子としりとりをしました。どこで覚えたのか「ソマリア」などと言い,息子の世界がどんどん広がっていることに驚かされました。
アフリカ東部の、あの戦火(内戦)の国だったソマリアですか?すごいですね。確かに「六歳の吾子の広がる世界を映」しています。息子さんが成人されるころ、世界に戦火がなくなっているといいのですが・・・。「尻取り」という漢字を避けられた繊細さ。
「しり取りで紡ぐ言葉は六歳の吾子の広がる世界を映す」(麻里子)
(いい歌ですね。)
「夏の夜に子のマフラーを二段編む細くも長く幸よ続けと」(麻里子)
入院中に,息子のマフラーを編み始めました。まだ夏ですが,自宅に帰ってきてからは,時間がとれず,一度に少ししか編めないので,冬までに完成すればと思っています。この平和な時がずっと続いて,無事にマフラーが完成し,息子が使ってくれるのを見られるように祈っています。
もちろん、きっとそうなりますとも。少しづつでいいです、今冬に間に合わせて下さい。息子さん、喜びますよ。目標があるということは大変によいことですね。このお作もいいですね。添削の余地なしで、いい歌です。
ここの所大雨が断続的に降り続いて崖崩れや田の浸水が各所に出ています・・・それに雷の被害も・・・ちなみに我が家もク〜ラ〜に雷が落ちてしまいました!悪いことは続くんだとか考えてしまいまして何だか少し疲れています。それで色々とシナケレバならないことが有るんですが、心が動いてくれません・・・時計を見れば時間が思ったよりも早く過ぎていまして焦っています!!
「あれこれと考え過ぎて一歩出ず過ぎ行く時を目で追うばかり」(夢子)
能登はカミナリの名所?ですね。特に冬場に多いようですが(雷の研究者談)、夏だって。。。クーラーにカミナリが落ちたと言われるのは、室外機が屋根に乗せてあるのでしょうか?今、各地で大雨の被害が出ています。気を付けて下さい。「それで色々とシナケレバならないことが有るんですが、心が動いてくれません」と。普通は体が動かないと言いますが、夢子さんの場合は体より前にやる気が起こらない?そんな時もありますよ。お作で下二句「過ぎ行く時を目で追うばかり」が特にいいですね。はまった時の夢子作品は大変いいです。これもいい歌ですね。
「かそかなる風のとおれること知らす南部鉄なる風鈴の音」(アン2006/07/13)
この暑さの中でも風鈴は律儀に涼しい音を聞かせてくれます。
今どきの蒸し暑い日々でも、風鈴の音は涼しいですね、たとえ(最近多い絵柄入り透明ガラス製ではなく)南部鉄という無骨な素材で出来ていても。
添削:
「かそかなる風のとほれること知らす風鈴の音は南部鉄製」(アン)
(上の添削歌、結句の「南部鉄製」はちょっと無理かと思いましたが、結構はまっていますね。いい歌になりました。)
「子どもらの好きな玩具の形せし地雷あること寒々と聞く」(anyanya)
人は他の動物に比して抜きん出て知恵が働きますが、知恵が回るということ自体には善悪はないわけで、それを働かす人間の心に問題があるのでしょうね。悲しむべきことですが・・・。ここは主観を入れず、事実を詠むだけで十分効果的ですね。
添削(改作):
「子供らの好む玩具の形せるものさへ混じり地雷一億個」(anyanya)
「朝露に濡れし農婦が草の香とてんとう虫を連れて受診す」(迷倫)
朝の農作業を終えてそのまま診察に駆けつけて来たという農婦の肩にてんとう虫が留まっていました。
働き者の農婦さん、朝から農事に勤しんで、その足で診療所へ受診に来たのですね。所は信州・・・。
添削(改作):
「診る農婦は朝露に濡れ草の香とてんとう虫をともなひてをり」(迷倫)
(いい歌ですね。)
少し遅いのですが菜の花畑を詠んでみました
「菜の花の風がかすかに蜜含み天地のあはひを蜜蜂は揺れ」(夢子)
これも野の匂いのする一首ですね。街中に住むわれわれには遭遇し得ない風光です。二つの「蜜」がちょっと付き過ぎかな。
添削(改作):
「頬に吹く菜の花の風ほの甘し天地のあはひに蜜蜂は群れ」(夢子)
(いい歌です。)
「今盛りと笑顔広げて咲く花に庭を巡りて挨拶交わす」(渓水)
この地域、今が一番きれいな季節。三ヶ月前がうそのように、あちらこちらが花で溢れています。
そうですか、そちらは6月が一番きれいな季節ですか。色々な花が一斉に咲き乱れるのでしょうね。お作で「笑顔広げて」が出色の表現です。
添削:
「くさぐさの笑顔広げる花花に庭巡りつつ言葉を掛ける」(渓水)
(いい歌です。)
「親は子を子は親思ふが世の常と言へぬ時代の唇寒し」(弥生子)
こちらのBBSでは、親・子・孫・・・と続く人の心が温かく詠われているというのに、そして、それが当たり前だと思っていたのに、世の中には耳を覆いたくなるようなニュースが多くて悲しくなってきますね。
そういう事件がまたテレビや新聞などマスメデアを賑わしていますね。お作の最後は常套句の部類ですが、ここでは効果的です。常套句が常にダメだとは決して言えない例ですね。
「親は子を子は親思ふが世の常と言へざる時代の唇寒し」(弥生子)
(世相を端的に詠まれて、いい歌です。)
「耕せば土は緑の呼吸して出番が来たとミミズを起こす」(夢子)
良い季節の中で過ごせることはとても幸せだとこの頃特に思います、初めミミズはとても苦手だったんですが、今は余りへびのようには驚かなくなりました!(~_~)
ミミズが苦手だったとおっしゃるからには、その土地の生まれではないのですね?生まれつきの土地の人かと思っていましたが。ミミズには慣れても蛇はまだまだ、ですか。大抵の人はミミズや蛇のような、長くてぬるぬるにょろにょろして得体が知れない動物は苦手ですが。両生類、爬虫類も苦手でしょうね。「今は余りへびのようには驚かなくなりました!」とのことですが、蛇に出くわすとびっくりと恐怖でまだ飛び上がるのでしょうか?それにしても今回のお作もいいですねぇ。「土は緑の呼吸して」ですかぁ。実際に土堀りなどしないと解らない感覚ですね。それを詠うには、さらに加えて十分な歌心がないと出来ません。「ミミズを起こす」とは、朝寝坊の子供らを起こすという時の「起こす」ですね。歌全体としても、短歌の表現としては不十分なのでしょうが、その微妙なあやふさがまたいいです。もう一歩外れると、とても歌ではなくなる境界で、微妙なバランスが保たれています。完璧ではない、未完の良さですね。
「耕せば土は緑の呼吸して出番が来たよとミミズを起こす」(夢子)
(いい歌です。)
「草つゆにぬれし軍手の重たさに草の強さがしみこむあした」(夢子)
大好きな季節なんですが、欲を言えば雑草の成長がもう少し遅ければとても嬉しいんですが・・・・今日はお天気も良いので花の苗を沢山買ってきて植えようと朝からドキドキして準備をしています!!
今度は菜園いっぱいに花を咲かせようということですね。咲きそろった時に見てみたいものです・・・。お作で「草つゆにぬれし軍手の重たさ」には感心です。その感覚、よく解かるからです。さらに、それに「草の強さがしみこむ」と。うーん、うまい。
「草つゆに濡るる軍手の重たさに草の強さが沁み込むあした」(夢子)
「畦道に置かれし鍬に雨のうつ老女一人棚田に対ふ」(yoshi)
山間部でも、平野部より半月以上遅れて田植えが始まりました。田植機が入らない棚田では今も専ら手作業による田植えです。雨の中、お年寄りが一人、黙々と作業をしていました。恐らく過疎、老齢化、健康不安、後継者難…など多くの問題を抱えてのことでしょう。通りすがりのものが訳知り顔で、なんだかんだ言うのは申し訳ないような気がしましたが、歌にしてみました。
置かれし鍬、では芸がないような気がしました。申し訳ありませんが、以下に差し替えてください。
「畦道に倒るる鍬に雨のうつ老女一人棚田に対ふ」(yoshi)
山間の棚田での田植え作業ですね。大変そうですね。お作は絵画的でもありますね。
添削:
「畦道に倒るる鍬を雨打ちゐて老女一人が棚田にむかふ」(yoshi)
(いい歌ですよ。)
「幾たびも帽子飛ばされ追ひかけて五月の風と一緒に歩く」(和)
きょうは少し風の強い日でしたが、爽やかな一日でした。寒さに弱い私は、これからの季節、そして夏も大好きです。先生は如何ですか?いつも有難うございます、よろしくお願いいたします。
人は余り寒くても暑くても対応しきれませんね。また、気温の急激な変動にも弱い。これらは自分のことでもありますが、気象への対応力が標準的なようです。このまま夏へ突入して呉れればいうことないですが。お作、何も言うことありません。いい歌です。
「そっと開け通りますよと声をかける野鳥に取られし我が家の出口」(渓水)
そっと通るには良いのですが、立ち止まったりすると、けたたましい声がします。卵の殻が落ちているので、雛がいるのでしょう。もうしばらくの辛抱です。
子育て中の動物は大変に神経質ですからね。街路樹に巣食うカラスなども、子育て中はその木の下を用心して歩かないと、突然襲われることがあるそうですが。母鳥らのその健気さ、涙ぐましいばかりです。渓水さんは毎年のことで、よく心得て居られるからいいですね。お作、うまく詠まれていて情景がありありと目に浮かびます。内容も新味があり、いい歌だと思いました。
添削:
「そっと開け通りますよと声を掛く野鳥に取られし我が家の出口」(渓水)
「遥かなる市街のネオンが大陸の黄砂に滲みて闇に広がる」(waka)
一週間ほど前、私が住む町は周辺の山が霞んで見えなくなるほど大陸の黄砂に覆われました。その夜、いつもは鮮やかに見えている和歌山市街のネオンが黄砂に滲んでピンク色に闇空に広がっていました、不思議な美しさでした。
黄砂がそれほどに濃いこともあるのですねぇ。中国大陸は風で徐々に削られていっている?それにしても中国大陸の雄大さを改めて知ります。13億の人口もすごいですが、政治体制が違うこともあり、近未来のライバルとしてアメリカが中国を強く意識している理由が解かります。お作、この市街は和歌山市でしょうか?ともかく、まとまりよく雄大スケールでうまく詠まれました。いい叙景歌です。
「さんさんと春の日注ぐ庭巡り新しき花を今日も見つけり」(渓水)
ここ一週間程好天気が続いています。 こんな日に庭を回ると、まだ背の低い花ですが、新しく咲き始めた花を見つけます。
「庭巡り」と言われるほどの広い庭、春には次々と異なった花が咲くのですね。それは何よりの歓びであり楽しみでしょうね。お作で「見つけり」は「見つく」に回想ないし詠嘆を表す助動詞「けり」を付けたのでしょうか?それなら「見つけけり」ですね。「見つけ」までが「見つく」の活用部分ですので(連用形)。
「さんさんと春の日注ぐ庭巡り新しき花を今日も見つけたり」(渓水)
(春を詠って、いい歌ですね。我が家のような猫の額の庭ではとてもこういうことは望めません。)
まっすぐに露天風呂にも降ってくる一粒だけの温度を持って」(優子)
先日、スーパー銭湯の露天風呂に入っていたときぱらっと来た雨。露天風呂に落ちれば同じ温度になってしまうけどそこまでは雨は雨の冷たさを持って落ちてくる。露天風呂のお湯と雨水は「水」という同じ業界仲間ではあるけれど知り合いじゃない。でも雨は落ちてくるのです、まっすぐに。そして露天風呂はそれを受け止めてあげる、おおらかに。おぉぉ〜。潔いですねぇ。
まあ、こういうことで感激出来るのも優子さんの柔軟な感覚なのでしょう。何のことはない、露天風呂に雨粒が落ちて来ただけのことなのですが。露天風呂の身になり、雨粒の身になる、その一世一代の?邂逅をめでる落合優子という一人の女性自身がおり・・・。雨粒は落ち、湯煙は空に向かって上がる。。。見とれて湯にのぼせないように・・・。
添削(改作):
「まっすぐに露天風呂にも降ってくる雨一粒に一つの温度」(優子)
(一粒ごとの温度。こう詠み直すといい歌ですね。)
「ものみなが春を纏ひて暮れなずむけだるきものの澱みしなかを」(がんてつ)
このところ、ちょっと・・・・・です。
そういう時ほど心奥の思いが素直に歌にのりかかり、人を動かす歌が出来るのですから、皮肉といえば皮肉です。歓喜と幸福感に満ちた心的状況ではなかなか短歌は生まれません。このお作、いつものがんてつ色がありませんが、いい歌です。お作との関連で言えば、春愁という語があります。
添削:
「ものみなが春を纏ひて暮れなづむけだるきものの澱めるままに」(がんてつ)
「落日を待たずに引きしカーテンの向かふに残る春の爛漫」(がんてつ)
ヘルパーさんが帰り際になさる作業の一つにカーテン引きがあります。「まだ陽がありますけど、すぐ寒くなりますから閉めときましょうね」と厚手のカーテンを引いてゆきます。一気に外界と遮断されて、折角の春の宵を楽しむことができませんが致し方のないことです。
厚手のカーテンでは外を透かして見ることも出来ないわけですね。お陰で?このいい一首が出来ました。この歌を読んだ人は、結句の「春の爛漫」に斜陽を浴びる満開の桜をイメージするでしょうね。作歌時にそうではなくても、それは全く構わないわけです。作者が病で常臥していることを知れば、一層印象的な歌ですね。いい歌です。
「落日を待たずに引かれしカーテンの向かふに残る春の爛漫」(がんてつ)
「前向きに生きろだなんて 見渡せるボクの周りは360度」(優子)
新学期になって子どもたちもドキドキわくわくしています。だけど新学期早々つまづいている子も。先日T君のお母さんからメールがきました。少し話を聞いて欲しいと。T君とは週に1回一緒に英語の勉強をしています。「前向きに生きる」。よく言われることですが。でも、へこたれてしゃがみこんでしまってる人はどっちが前かもわからない。荒野の真ん中にぽんと放り出されたように見渡す限り何も見えない。そんな状態なのです。しゃがみこんで途方にくれることしかできない時もある。じっとしているだけでも精一杯。仕方ない。しばらくそのまま。
あおぎり先生、歌の座りがよくないような気がするのでちょっと変えます。すみません。
「前向きに生きろだなんて ボクは今360度のど真ん中」(優子)
言われたいことは解かりますが、しっくり来ないのは360という数字にこだわっておられるからです。(前半は俵万智調ですが、口語歌はどうしてもそうなるのですね。止むを得ません。)
添削:
「前向きに生きろだなんてボクは今たとえば円のど真ん中だよ」(優子)
(何となくいい歌ですね。万智ちゃん短歌もそうですが。いや、真面目に考え直すと奥行きのある歌です。)
「一言が心に刺さる病む我に「優しい」言葉(こと)など掛けないでくれ」(がんてつ)
遊びに来てくれる友人知人に加え、関係者の皆さん方から何気なく掛けて戴く「優しい言葉」が、事の他心に滲みます。懸命に耐えてるものが一気に崩れていくような・・・。いい歳をして、とお笑い下さい。
深層心理を吐露出来るのも短歌の良いところなのでしょう。お作で「刺さる」は大抵は(悪く)刺激的な場合に言いますね?あとの「優しい」に呼応させるには「沁みる」なのでしょうね。添え書きでもそうおっしゃっいます。いや、そうでもないのかな。そのあたりは(知人さんたちが掛けた言葉が何だったかも解らないし)真のご本心はやはり解かりませんので・・・。そう思って、改めてこの一首を読みますと、その意味の深みが出てきます。
「一言が心に刺さる病む我に優しい言葉など掛けないでくれ」(がんてつ)
(いい歌ですね。)
「空っぽのブランコだけが揺れている思い出はすべてそんなふうです」(優子)
夫が昨日の午後、押入れのみかん箱に入れてある本を部屋いっぱいに出して整理していました。押入れの奥からアルバムが一冊。シュンが保育園に通っていた頃のものでした。私たち夫婦も若くってシュンも幼くて・・・。時が過ぎればどんなことも(たとえそれが苦い思い出であったとしても)かすかな温もりを持って蘇ってきますよね。思いがけず見つけたアルバムで少しの間やわらかな気持ちに包まれていました。
息子さんの幼い頃のアルバムが出てきて、ご夫婦でしばらく懐旧談を楽しまれたことでしょう。お作、詠う主題の出色な切り取り方ですが、後半がやや説得調では?
改作例:
「空っぽのブランコひとつ揺れているそこから始まる思い出いくつ」(優子)
(いい歌ですね。)
「雨に混じり花びら降れば雲さへも日を含むごと明るみを帯ぶ」(紗柚)
雨と一緒に花びらが降ると雲も街も心持ち明るく見えるような気がして今にも雨が上がるのではないかと思えました。それほど強い雨ではなく雨雲もさほど厚いものではなかったからかもしれません。実際は一日降り続き翌日もすっきりしない天気でした。雨や曇りの日の多い桜の季節となってしまいましたが今まで気づかなかった美しさも楽しめました。
「雨に混じり花びら降」るとは、新鮮で、いい所を衝かれますね。雲が日を含んで明るんで見える、という捉え方もいいです。このお作は詠い方もうまくいっています。何か明るい未来が待っているような、そういう予感さえ感じさせます。もう一歩ですよ。
添削:
「雨に混じり花びら降れば雲さへも日を含むごと明るみてあり」(紗柚)
(いい歌です。)
「三川が一つとなりて流るるを見送るやうに花吹雪舞ふ」(紗柚)
大山崎山荘から桂川の桜を見た時は桜吹雪には早い時期でしたが、これらが散るときもきれいだろうと想像しました。三川が合流して一つの大きな流れになり海に向かうことを考えると広大さを感じます。先生の所の木曾三川は伊勢湾に注がれるのですね。こちらは大阪湾です。三川合流する所で間近に桜吹雪を見たいと思いましたが、悪天候続きでまた来年ということになりそうです。想像のみの歌になってしまいすみません。
河口付近にも桜がたくさんあって、このお作のような光景が見られるということなのでしょう。今年は想像だけとのことですが。
添削:
「三川が一つに海へ流れ入る餞(はなむけ)として花吹雪舞ふ」(紗柚)
(雄大さも秀麗さもあり、いい歌ですね。結句「花吹雪舞ふ」は常套的ですが、ここではそう感じられない。常套句でも使われ方で味気なくはならない例でしょう。)
「心して耳かたむける低き声この年ゆえに恋しと想う」(anyanya)
年若い頃の恋は「目から心に」と歌われているように容貌に惹かれ結婚に到達しますが、年取っての恋は落ち着いた話し振りや文芸・政経への思慮の深さや憧憬といった会話や内面の人柄に惹かれるのだと実感した恋でした。
「年若い頃の恋は「目から心に」と歌われているように容貌に惹かれ結婚に到達しますが」はご自身のことでもあるのでしょうね。現在意中の男性は人柄温厚にして社会的常識にも富んでいるのでしょう。大いに恋して下さい。ただし、ご夫君には内緒。こうして歌になるだけでもその存在理由は小さくありません。それにしても<恋>という心の作用は摩訶不思議ですね。loveとaffection、歳行けば後者なのでしょうか。
「心して耳かたむける低き声この年ゆえに恋しく想う」(anyanya)
(壮年の恋を詠って、これはこれでいい歌ですね。)
「上る君と下る私がすれちがうエスカレーターに無限大の空(くう)」(優子)
以前、駅から地上に下る私と駅に向かって上ってきた友だちがエスカレーターですれちがったことがあります。「おっ」「やっ」とお互いに声をかけて上下に離れていきました。背中合わせにどんどん離れていく。とても仲良しのお友だちです。滅多に会うことができない友だちですが・・・。
「上る君と下る私がすれちがうエスカレーターに無限大の線」(優子)
<空>の言葉をかなり考えたのですが。なんだかやっぱりネガティブなイメージですねぇ。温かい感じを出したかったのです。<線>、<春>、<温(おん)>・・・。ありきたりですが、やっぱり線にします。よろしくお願いします。
エスカレーターで上って来る友人、下っていく自分、近付きすれ違い遠ざかる・・・近々と居るのに決して同化出来ない二人、二人は異次元の世界に居るようです。異次元・・・空間的にも時間的にも。大変仲良しで、滅多に会うことのない二人とのことですが、この寸劇のあと二人はどうしたのだろうか、と第三者は考えますね。
添削(改作):
「上る友と下る私がすれちがいエスカレーターに時空ねじれる」(優子)
(いい歌です。)
「散り敷きてやがて朽ちゆく花びらの淡き感触靴底にあり」(ゆう子)
そろそろ葉が出始めて盛んに桜は散っています。
結句の「靴底にあり」がいいね。
添削:「散りつもりやがて朽ちゆく花びらのはかなき感触靴底にあり」(ゆう子)
(いい歌です。)
「桜木に小さき風鈴吊るされて花びら散る度はかなげに鳴る」(紗柚)
「桜木に小さき風鈴吊るされて散る花びらを惜しむごと鳴る」(紗柚)
前夜見たライトアップの桜が見事だったので昼の桜も見たくなり仕事前少し早めに家を出てまた木屋町を散策しました。近くの店の方がされたのか満開の桜の木に風鈴がつるされているのに気づきちょっと驚きました。晴天で気温も20度近くあったので爽やかな感じもしました。風鈴がなると同時に花びらが舞い少し寂しくもありました。下の歌は同じことを比喩を用いて詠みかえたのですがこの場合どちらの方が適切か迷っています。「散る花びらを惜しむ」が常套表現かとも思えます。2首になりお手数ですがご指導及びどちらかでの添削宜しくお願い致します。
歌材として適し過ぎているきらいはありますが、美しい情景ですね。おっしゃる通り二首目は「散る花びらを惜しむごと鳴る」が常套表現で、というより意識的(やらせ的?)で、やはり一首目がいいですね。もっと良くなりますよ・・・
添削:
「桜木に吊るされてゐる風鈴の音(ね)が花びらとともに散るなり」(紗柚)
(いい歌ですね。紗柚さんのお作は、このようにあとわずかな工夫でとても良くなる場合が多いです。あと一歩、いや二歩かな。)
桜の花はマダマダなんですがこの里にもようやく春がやってまいりました!\(^o^)/
「「ごつん」!と光が当たり春が来た!待ってましたと土をいじくる」(夢)
暖かい陽気に嬉しくなって近所の散歩をしましたら「豆の種」を頂きました!早速土を耕してその豆(さやえんどう)を蒔きました。。。先生〜!の記号はとても好きなんですが二つ使うのはどうなんでしょうか?
能登にも春がやって来たのですね。元気が出てくることでしょう。さっそく鞘豌豆の種を蒔かれましたか。美味しい豌豆が育つことでしょうね。お作で「「ごつん」!と光が当たり春が来た!」には参りました!
\(^o^)/いやー、この言葉感覚は得難い貴重なものです。夢子さんの面目躍如たるお作です。ビックリマーク!は必要と思われるだけ何個でもお使い下さい。特に夢子短歌には制限無用です!とにかく、びっくりしました。読んで元気がむらむらと湧いてくるいい歌です!
「せせらぎを蔽ふ桜の花陰に名残りの椿の紅際立てり」(紗柚)
椿は種類が多く花期も長い花ですが、そろそろ見納めです。桜に蔽われた小さな街川のほとり、椿の花が淡い色の桜の陰で真紅を際立たせていました。
桜花と紅椿との取り合わせですね。
添削:
「街川を蔽ふ桜花(あうくわ)の陰に咲く名残の椿の真紅目に沁む」(紗柚)
(いい写生歌です。)
「独り居を寂しくはないと言いし母の哀しみようやく知る年となる」(すめーちゃん)
震災後母に弟夫婦や娘の私達も同居を勧めましたが、断られ独りがいいと寂しく微笑んでいました。その時点では、母の心の奥底まで知る事ができませんでしたが、この頃ふっと母のあの時の気持ちが理解できる年になった様におもいます。宜しくお願いいたします。
お母さんは自ら子離れを選ばれたのですね。子供たちの家庭を大切にしたいという気持ちが強かったのでしょう。独り暮らしは気楽、ということもあるのでしょうが。本当のお気持ちはもちろん第三者に解かるはずもありませんが。そこのところが解かりかけたと詠われるのですね?お母さん、お幾つなのかな。
添削:
「独り居は寂しくないと笑(ゑ)み作りし母の気持がこのごろ解かる」(すめーちゃん)
(心理の深みを詠んで、いい歌ですね。)
「追憶はただ美しく残りけり幻の如き白き水芭蕉」(とよ子)
先生、追憶の歌、表現のまずさで真意がお伝へできませんでした、ごめんなさい。おぼろげな記憶を検索で補う?これを詠んだ事に無理が有りました、反省をしています。
詠みかえてみました、お手数をおかけします。よろしくお願いします。
添削:
「追憶はただに美し幻のごとく毅然と白き水芭蕉」(とよ子)
(いい歌ですね。美しいです。)
「おみやげを手渡す時にふれし手の温もり包んで仰ぐ夕焼け」(すめーちゃん)
友人にいかなごの釘煮を届けました。大変喜んでくれて、毎年ながらお喋りをして帰ってまいりました。宜しくお願いいたします。
素直に心情が詠われていますね。ただ「手の温もり包んで」がちょっと解かり難いです。友人にふと触れた手を他方の手で覆うようにした、ということでしょうか?ご自分の自然な行為は自然だけに言わなくてもご自身には解かっていても、言われないと他者に伝わらないわけです。こうした飛躍がなくなると、どんどんいい歌が出来るようになるでしょう。
「おみやげを手渡す時にふれし手の温もりポッケに仰ぐ夕焼け」(すめーちゃん)
先生お忙しい中、ご指導いただきまして有り難うございます。説明不足でした、自分では解っていても再度詠んでみまして、先生のおっしゃる通り、詠む方に伝わらない歌でした。友と別れて、温もりの残る手をポケットに入れ、ふと見上げた空は夕焼でした。再度添削宜しくお願いいたします。
つまり、その手をポケットに入れたのですね。かといって「ふれし手の温もりポッケに」ではしっくりとしません。ご本人も解かっておられる。なお、「夕焼け仰ぐ」ではなく「仰ぐ夕焼け」で、動作が屈折しました。これは添え書きで「ふと見上げた空は夕焼でした」と言われる、そこを大切にされたものですね。「ポッケ」はどうですかね。下の添削歌のようなら、なかなかいい歌ですね。但し、旧仮名です。
添削:
「お土産を渡すと触れし手の温もりポケットに入れて仰げば夕焼け」(すめーちゃん)
「静けさや美しきもの好きになり老いゆく事の幸せおもふ」(アン)
「静けさや」の「や」は俳句で多用される切れ字の「や」なのか、並立を表す「や」なのか、ですが。多分後者ですね?「老いゆく事の幸せおもふ」ですかぁ。そこまで達観出来れば、人生は最後まで幸せですね。
添削:
「静けさと美しきもの好きになり老いゆくことの幸せおもふ」(アン)
(概念歌の部類なのでしょうが、いい歌ですね。)
「枝垂れ梅咲き満つる苑に踏み入れば春のしぶきを受くる心地す」(紗柚)
先日、伏見の城南宮に枝垂れ梅を見に行きました。遣り水の流れる庭園に150本もの紅白の枝垂れ梅が植えられています。その形状は噴水の様にも見えました。花の一つ一つがとてもみずみずしく思わず手にとりたくなるような感じです。とても気持のいい早春のひと時を過ごしました。
「150本もの紅白の枝垂れ梅」ですか。優雅で壮麗ですね。お作もその雰囲気をうまく表現しています。枝垂れ梅がそよ風にゆれ、紅白の花が輝く様子が「春のしぶき」なのでしょう。このままで十分ですね。いい歌です。
「買いためた本をひたすら読み急ぐ街が桜に包まれる前」(紗柚)
桜の花が咲き出すと休みの日も出かけたくなり、読書量が減り気味です。電車や喫茶店という普段なら読書の場になる所も窓から桜が見えるとつい見とれてしまい集中できません。いまのうちに「つん読状態」の本をすこしでも読んでしまおうと思っています。
このお作には上のような添え書きはない方がいいですね。折角素直に詠まれているのに、何か理屈っぽい感じになってしまうのです。この歌は新仮名ですが、この歌だけで十分訴えるものがあります。添え書きのような理屈で前半と後半を結び付けない方がいいです。「街が桜に包まれる前」なんて新鮮でいい表現です。街がやがて桜で包まれるのを楽しみに「買いためた本をひたすら読み急ぐ」ということでいいですね。いい歌ですよ。
「小さなる地上の銀河だ きらきらとグランドの砂日差しに光る」(和)
私の歩幅で周囲九百歩、砂を敷き詰めた運動公園のグランドも時々ウオーキングします。晴れた日には、一斉にその砂がきらきらと輝いて、まるで銀河のように思われてきます。そんな気持ちを表現したかったのですが・・・。よろしくお願いいたします。
「ちっぽけな地上の銀河かキラキラとグランドの砂が日差しに光る」(和)
修正してみたのですが・・・・
太陽光にキラキラと光る砂のグラウンドですね。900歩で一周なら、それほど広い運動公園のグランドではありませんね。日に一万歩歩こうとすると11周以上しなければなりません。大変ですね。。。「地上の銀河」というフレーズは、NHKの人気番組<Xプロジェクト>のテーマソングでしたね?この光景は素直に詠むだけでいい歌になりますよ・・・
改作:
「グラウンドいっぱいに敷かれた白砂が銀河のように燦然と光る」(和)
「味噌汁のだしとる煮干はくるくると踊りて今日の一日幸せ」(愛)
先生いつも御指導有難うございます。漢字によって真意が伝わるという事勉強になりました。同じ読み方でも意味が微妙に異なるのですね。朝、味噌汁を作る時、煮干が舞い始めると何だか今日も幸せだなあと言う気持ちになります。たったこれだけの中に、35年過ごしています。よろしく御願いします。
鍋の中の湯が沸騰に近付くと対流が盛んになってダシの煮干がくるくると回るわけですね。「たったこれだけの中に35年過ごしています」ですかぁ。そのあたりが詠み込めるとぐんといい歌になりそうですよ?煮干くるくるだけでも結構面白くはありますが。
改作例:
「味噌汁のダシの煮干がくるくると踊る 半生の幸せの形」(愛)
(いい歌ですよ?)
「鰊絶えて半世紀なるわが漁村(むら)に群来を待ちゐし友逝きませり」(白嶺)
小学校時代の同級生の友人が二月下旬に亡くなりました。漁業を営んでいました。彼は、必ず、鰊は戻ってくると信じていました。大豊漁を希い毎年そその準備を怠りませんでした。しかし、病には勝てませんでした。心臓病でした。寿命とは言え寂しい限りです。添削よろしくお願いいたします。
それはご愁傷さまです。結局鰊(にしん)は戻って来なかったわけですね、少なくともこのご友人の生前には。なお、「友」に「逝きませり」の敬語表現は合いません。
添削:
「鰊絶えて半世紀なるわが漁村(むら)に群来待ちゐし友もはや亡し」(白嶺)
(いい歌ですね。)
「何かしら結果は出ます脱ぎ捨てた運動靴にひとつのカタチ」(優子)
一昨日の日曜日。最高のお天気。午前中テニスで汗を流した夫が万博公園の梅林に行こう、と言う。行きましょう、行きましょう。綺麗だった、梅の花。まだ満開というところまではいってないけど。一合の熱燗をふたりで分けていただきました。気持ちよくって運動靴を脱いで地面に座ってました。愛用のadidas はもう2年くらい履いています。この靴を履いてあっちこっち行きました。京都にもレッスンにもメルボルンにも・・・。今月新しいスニーカー買おうと思ってます。
添え書きは何か靴メーカーの宣伝にもなっているようですが、優子さんに気に入られて靴もメーカーも満足ですね。実際、いいものは有り難いですからね。そういえば自分も安売りで買った靴を、カンガルーの革だということでしたが、軽いし、内張りが布で感触よく、もう随分永い月日、雨の日も風の日も、散歩などに毎日使っています。まだまだ使えそうです。物は値段だけではないですね。(あなたのadidasのスニーカーはそれなりの値段でしょう、誤解なきよう。)お作、優子流(雛鳥流?)口語短歌、何となくいいですね。
添削:
「何がしかの結果は出ます。脱ぎ捨てた運動靴にひとつのカタチ」(優子)
「訪れし人に寒さを問はずとも握る手語る凍えしままで」(がんてつ)
ぬくぬくと温室で生活してますので、外の寒さを直接肌に感ずることは出来ません。訪問してくださった方々が、手を握ってくれたりすると、流石に今の時期、ひどく冷たい方がいらっしゃいます。外は寒いんですね!でも、その冷たさは逆に私には温もりとして伝わります。
添削:
「訪るる人に寒さを問はざれど握る手に知る 冷たくも温し」(がんてつ)
(いい歌ですね。)
「老いふたり雛の日なれど静かなり物置の隅に眠る雛人形」(すずな)
子供のいる頃は毎年七段のお雛様を飾り友達を呼び楽しみましたが、主人とふたり暮らしとなり今年も雛人形飾らないで終わりました。
寂しいですが、そういうことに落ち着きますね。お作の「老いふたり」はご夫婦のことですね。
添削(改作例):
「三月三日老いし夫婦(めをと)は無為にして雛人形は物置の隅」(すずな)
(これならいい歌ですね?)
「春に向かう私と秋に向かうシュン 電話の向こうに虫の音ひびく」(優子)
昨日の夜。電話してくれる?、とシュンからメール。特に用はないんだけど・・・と彼が出た電話の向こうに虫の音が聞こえました。「だんだん涼しくなってきて今晩は空がむちゃきれいや。」とのこと。今度の金曜日にまたプレゼンをするそうで今度のテーマは「キャンプファイアー」だそう。英語をもう少しレベルアップしようと今までたまに聞いていた邦楽CDもやめて日本の映画も観ないようにしていたら急にしんどくなって電話で話したくなったって言ってました。いい電話でした。
シュン君、頑張っていますね。ちょっと孤独感などあるとお母さんお父さんの声が聞きたくなる。いいタイミングですね。お作、地球の北半球と南半球の母と息子が電話で語る。こちらは冬から春に向かう。あちらは夏から秋に入り、虫の音が立つ。それが電話越しに聞こえたのですね。いい歌です。
「節分の豆の一粒吸い込まれカラカラカラと掃除機に鳴る」(すめーちゃん)
節分の豆の残りが部屋の隅に残っていたらしく掃除機の中に音を立てて吸い込まれてゆきました。又節分を思い出しました。宜しくお願いいたします。
ちょっと滑稽でありながら素直に日常性が出ていて、この歌はいいですよ。こうした見過ごしてしまいそうな、些細なことが歌にすると俄然かがやいてくる、ということがあるものです。もちろん、いつもそうはいきませんが。一読して即座に解かり、読む側が生き生きとその場を実感出来るのです。掃除機かけているすめーちゃんさんがありありと目に浮かびます。豆の音「カラカラカラ」が快いですね。
うちの上司(校長)は叙勲も終わり三月の定年を待つばかりです。あとは大きな事件が起こらないように身の保身第一で,やってられない位,無茶な事をいろいろいいます。力が抜ける程呆れつつも,かわいそうに思えてしまいなんでも仕事だからきちんとやんなくちゃね〜って。公務員根性??
「身の保身ばかりの上司の哀れさになぜか仕事で答えたくなる」(nanami)
そうか、校長先生が上司なのですね。今何となくイジメられている感じがする公務員、その公務員根性なんてちょっと悲しいこと言われますが、これはnanami流グチの歌ですかね。ですが「身の保身」というのは変では?とはいえ、校長先生にとってはちょっと切ない内容です。
添削:
「校長さん保身ばかりの哀れさになぜか仕事で答えたくなる」(nanami)
(何か、いい歌になりましたね。)
「飛び立てる一羽の鳶を見上ぐるに白き斜里岳はるかに座る」(白嶺)
ゴルフ練習場へ行く途中、一羽の鳶が飛び立ちました。はるか彼方には斜里岳が白く耀いていました。
さすがに白嶺さんらしい視点は確かで、間違いないですね。下のように詠みますと、もう少しダイナミズムが出、いい写生歌になりますね。静かなダイナミズム。鳶があたかも斜里岳を目指しているように思えて来ます。
添削(改作例):
「飛び立ちてはや高空に鳶はあり遥か彼方に白き斜里岳」(白嶺)
「微笑んだ私を描いてくれるから吾子の前では笑顔でいよう」(麻里子)
息子が久しぶりに私の似顔絵を描いてくれました。にっこり笑っている目元と口が印象的でした。改めて,笑顔で接しようと心に決めました。
5歳の息子さんが「にっこり笑っている目元と口が印象的」な麻里子お母さんを描きましたかぁ。いいですねぇ。母子一体という感じですね。ただ、息子さんの前だけでなく、いつも笑顔、が健康保持・増進の秘訣の1つだそうですね?特に息子さんの前では、ということで・・・。いい歌です、このままで十分ですね。
「作っては崩す積木の家あの日永久なんてないと知ってた」(優子)
子どもって面白いです。自分もかつて子どもだったのに。いつ忘れてしまったのか。この前も公園で寒い夕暮れなのに4、5歳の子が短い滑り台を何度も何度もすべってました。エンドレス状態。私にも滑り台が大好きだった時期があったはずなのです。いつその面白さを忘れてしまったのだろうか、と思いました。小さい子たちと接する機会が多い毎日です。子どもって意外と醒めてるとも思います。本能的にいろんなことを感じ取ってると。積木の家も壊すのが面白くて作ってるように見えました。
子供のころ「積木の家も壊すのが面白くて作って」いましたか。子供一般がそうだろうと言われる。そしてお作のような感慨。なるほどね。真理・心理を掴み取って詠もうとされる、うまいものですね。こういう詠み方なら、文語旧仮名を使う必要はありませんね。口語で十分です。
「明け方の冷気を含む新聞紙届けし人に感謝して開く」(紗柚)
たまに早起きしてかさりと新聞の届く音を聞くことがあります。ドアに新聞受けがついているため中からとることができますが、手に触れた新聞紙の冷たさで外がいかにに寒いかがわかります。最近はネットの普及や忙しさのために新聞をほとんど読まないという人も増えているそうですが、やはりインクのにおいのする新聞紙は好ましいものです。寒い日も大雨の日も毎朝届けてくれる配達の方に感謝です。
なるほどね、よく冷気に感応されましたね。いい歌だと思います。ただ「感謝して・・」が(勿論ご本心ですが)ちょっと気にはなります。こうしたお心はそれとなくほのめかされるといいでしょう。短歌の難しさですね。
「明け方の冷気を含む新聞紙寒風の中届けし人あり」
結句を「届けられたり」としようかと迷いました。我が家は五階にあり結構強い風が吹き付けるので「寒風」という言葉を入れてみましたが「冷気」という言葉とも重複するので問題があるようにも思えます。宜しくお願いいたします。
改作例:
「起き出でて新聞受けより抜き取りし朝刊ひんやり冷えて重たし」
「凍空に青白く照る半月に軒の氷柱は鈍く光れる」(白嶺)
家々の軒から下がっている氷柱が月光に光っているさまを詠みました。寒中の月には鋭い寒さを感じますが、鈍く光る氷柱にも一層寒さを感じます。添削よろしくお願いいたします。
先生には、年末、年始のご挨拶もせずに失礼いたしておりました。
>私、古希を記念して短歌を始めました。(道内の或る結社に所属し、また、一年遅れで先生のご指導をいただくとともに、本州の或る結社にも所属し、今日に至っております。)五月末には短歌を学び始めて満5年になります。5年を一区切りとして、これまで詠んだ短歌を冊子を纏めるべくそのことにのみ集中しておりました。一冊に纏める見通しも立ちましたので、これからまた、投稿をいたします。よろしくご指導下さいませ。よろしくお願い申し上げます。
それは大変な作業でしたでしょう。古希記念の歌集出版ですね。若い時ならともかく、60歳過ぎて作歌を始められて5年で一歌集を編まれる、そのご才能とご努力に敬服します。立派なご歌集(処女歌集)の上梓が待たれますね。今回のお作も、その充実感が伝わります。70過ぎて新人賞を目指して小説を書いておられる御仁も居られると聞きますが・・・。高齢何するものぞ、ですね。恩師宮柊二は70過ぎて(晩年に)青春を生きん、と詠んでいますが。それを地でいくかのように、今回のお作は瑞々しいです。
添削:
「凍空に青白く照る半月に軒の氷柱がするどく光る」(白嶺)
(透徹した写生詠ですね。)
「零歳の頃の日記を読み聞かせその喜びを吾子に伝える」(麻里子)
自分がただ存在することで,どれだけ周囲の人々に喜びを与え愛されてきたかを知ってほしくて,0歳の頃の日記を息子に読み聞かせてみました。今は5歳で,言うことを聞かなくて困ったり,怒ったりしなければならないこともある年齢になりましたが,ただただかわいくて,日々発見に満ちていた頃の甘い思い出が懐かしくなりました。
精神的に独立出来る年齢までは子供は母にとって分身のように思われるのでしょうね。何しろ10ヶ月も文字通り一身同体であったわけだし、妊娠中や出産の苦しみもあり、その後の育児の苦労もありますしね。こうしたことを納得させるお作であり、添え書きです。お子さんのゼロ歳の頃の「ただただかわいくて,日々発見に満ちていた頃の甘い思い出」とは、言い得て妙です。
添削:
「ゼロ歳の頃の日記を読み聞かすその喜びを五歳の吾子に」(麻里子)
(浮かび上がる母子像、いい歌です。)
「かがやきて由布岳(ゆふ)も鶴見岳(つるみ)も雪化粧年の初めの風の明るさ」(愛)
商売(インテリア工事業)をしている関係で、年明け数日は問屋さんやお客さんの挨拶をうけたり、したりで、この頃になるとやっとゆったりした気分になります。今年の正月はとてもいい天気で、二〜三日前からの寒波で遠くの山々に雪が積もってきれいです。(豪雪地方の方々の苦労には胸が痛みます)
寒波の波状攻撃で由布岳も鶴見岳も雪化粧していますか。わがゆう子にも懐かしい光景です。ご商売はインテリア関係なのですね。年末年始は挨拶で超多忙であろうこと、推察出来ます。今年も元気で仕事の方をおやり下さい。お作、「雪化粧」の常套句が気になりますが、あとはいいですね。特に、後半がいいです。次のようにすると、それがもっと生き、いい歌になります。
添削:
「由布岳も鶴見岳(つるみ)も白くかがきて年の初めの風の明るさ」(愛)
「妻の炊く七草粥に籠められし「ALS(やまい)に克つ」を噛みしめて食む」(がんてつ)
お正月早々こんな歌でご免なさい。宜しくお願いします。
いえいえ、ご夫婦の正月ならではの力強い意志表明ではないでしょうか?いい歌ですね。
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