「鉢底に小さきトカゲが潜みゐし木枯らし1号の吹きし真昼に」 (mukugeさん2003年10月27日)
この秋一番風が強かった日のこと、庭隅の鉢底にまだ生まれたてのような小さなトカゲの子が蹲っていました。親とはぐれたのか、この冬を無事に越せるのか、心配です。日だまりの土に下ろしてやりました。
「トカゲが」を「の」にしていましたが「1号の」と重なるので「が」にしたのですが、「が」と「の」の使い分けがよく判りません。
もう木枯らし1号が吹きましたか?知らずにいました。時期的にはそんなものなのでしょうけれど。
所有格を表す「の」の使い方に問題が生じることは少ないから、主格の「の」のことですね。主格の「が」に相当しますが。「の」か「が」か、主には語感から決めるところですね。また、主格の「の」と解かり難いことがあり、そうした時も「が」としますね。大勢として、(主格だとはっきりさせるために)「が」が多くなっています。この歌のように2箇所に出てくるような場合はどちらかを「の」とする、それはいいですね。ただ、「が」は音感的にあまりよくないこともあり、「の」として柔らか味を出すのもいいですね。口語ではほぼ例外なく「が」です。「の」を使うとしたら定型句の中くらいでしょう。
添削:
「鉢の底に小トカゲ一匹潜みゐき木枯らし一号の吹きし真昼に」(mukugeさん)
「春の雪にまどゐしリスが餌箱に逆さになりて餌ほおばりぬ」(渓水さん2003/04/10)
フリージングレインfreezing rain ですか。経験がなく、聞いただけで身震いが出ます。4月というのに、寒いのですね。(ニューヨークも雪だとか。テレビでは、MLBの選手たちが白い息を吐きながらプレーしていました。)
添削:
「春雪にまどへるリスが餌箱に逆さになりて餌(ゑ)を頬ばりをり」(渓水)
最初「餌箱」があるので、「餌ほおばりぬ」は不要と考え、本当の姿は「逆さになりてしがみつきをり」だったのです。 でも「をり」は使用されているが、本来無い言葉と2,3度書かれておりましたので、「しがみつきをり」をやめました。 このような場合如何な(このをり)すればよろしいでしょうか。 もしかして私の誤解かも知れませんので、ご教授頂けましたら幸いです。
旧仮名でも新仮名でも「おり」という記法がないのです。旧仮名なら「をり」です。(発音は「おり」に近いでしょうが、旧仮名の記法として「おり」はないのです。新仮名にはもちろんありません。「いる」は「ゐる」(旧仮名)であるのと同類です。もっとも、「いる」は新仮名にありますが。新仮名で通すなら、「おり」は使わないで「いる」としましょう。)
「クレーン車を遮る桜の花枝が無造作に切られ雨に濡れおり」(mukugeさん2003/04/03)
工事優先、ということでしょうか。おそらく立派な桜。切るには惜しい枝ぶりだったことでしょう。その上、花枝とあるから、咲いた花をつけたままなのですね。なお、最後の「おり」ですが、旧仮名なら「をり」、新仮名なら「いる」とでもして下さい。「おり」と言う語は元々存在しませんので。これが世に氾濫していることは事実ですが、困ったことだと思っています。せめてここでは使用禁止ということで。。。
添削:
「クレーン車の邪魔とて桜の枝切られ花付けしまま雨の路上に」(mukuge)
「透かし見る袋の中の小さき梨すき間をうめつつ秋を待ちおり」(桐子さん2002/07/22)
添え書きでなるほど、です。つまり、まだ小さい梨の実が袋で包まれていて、それが日光に透けて見えており、あとは想像で、実が大きくなるにつれ、袋と梨の間の隙間が埋められて行くだろうという発想ですね。捉えどころに妙がありますが、少し理屈っぽいかな。
結句の「おり」ですが、もともと文語の「をり」で、これを口語的に「おり」としたものなのでしょうが、これは文語でもなく、口語新仮名でもない、中途半端な語です。口語にしたければ「いる」とすればいいわけですから、まさに変な日本語の一つ。この語は現代短歌世界に氾濫していて、困ったものだと思っています。
添削:
「日に透ける袋の中の小(ち)さき梨育つがほどに袋を満たす」 (桐子)
「川岸の鳥のさえずり聞きおれば雲のたれたる朝も清しき」(由里さん2002/07/04)
この時期に鶯の声が聞こえるなど、こちらでは考えられません。いいところにお住まいですね。もちろん、ちょっと山手まで出向けば、夏でも鶯が鳴いていますが。。。いい環境ですから、いい歌も生まれ易いですね。まさに清々しい歌です。結句は「清けし」または「清明けし」(さやけし)がいいでしょう。「清々しい」はあっても「清しい」は本来ないわけですので。(「清し女」(すがしめ)という名詞があり、「すがすがしい女」のことで、つまり「すがすがしき女」を縮めたもの。ただ単独の形容詞「すがし」はないのです。)
この歌、全体としてはほとんどこのままでいいですね。
添削:
「川岸の鳥のさへずり聞きをれば雲のたれたる朝も清けし」(由里)
※試しにパソコンのキーボードで すがすがしい と打って変換すると 清々しい(清清しい)と変換されますが すがしい と打って打って変換しても 変換されませんね。
「小雨やみ伸びし雑草抜きおりぬ春草すがし匂ひの中で」(隆子さん2002/04/07)
文字通り清々しい歌です。「すがし匂ひ」は「すがしき匂ひ」でしょうね。その前に、「すがし」という形容詞、漢字では多分「清し」なのでしょうが、またおそらく「すがすがし」から来ていると思われますが、これは本来無い言葉です。つまり、「すがすがし」はあっても「すがし」は無いのですね。これも皆よく間違えます。例えば、例の有名な「シクラメンのかほり」という布施明の歌(作詩作曲・小椋桂)にも「・・シクラメンほどすがしいものはない・・」という歌詞が出てきます。「かほり」が「かをり」のミスということの他に、「すがしい」という形容詞は本来無い、という意味でミスですね。小椋桂氏は名作詩家ですが、結構ミスもしています。みんなが間違えるから、「かほり」も「すがし(い)」も、そのうち市民権を得るかもしれません。(^^;)
添削:
「雨あがり伸びし雑草抜いている春草ふつふつと匂へる中で」(隆子)
(「抜いている」は文語旧仮名遣いでは「抜きてゐる」ですが、語感をやわらげるために意識的に新仮名遣いとしてあります。)