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因幡街道沿いを走っていたら宮本武蔵にちなんだ旧跡が点在していました。
何と宮本武蔵駅という名前の駅までありました。岡山県美作市今岡にある智頭急行智頭線の駅だそうです.。

「あり得ざることがやすやす現前す智頭(ちづ)沿線に<宮本武蔵>駅」

 

宮本武蔵駅
宮本武蔵駅宮本武蔵駅宮本武蔵駅宮本武蔵駅
 宮本武蔵駅 宮本武蔵駅 宮本武蔵駅 宮本武蔵駅

 武藏の里とされる地区には宮本武蔵の生家や宮本武蔵神社、武藏の墓などがありました。

 

武藏の里
 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近
 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近
 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近 I武藏の生家付近
 武藏の生家付近 I武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近
 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武藏の生家付近 武蔵の生家付近
  武蔵の生家付近武蔵の生家付近   

 

武蔵神社 武蔵の墓
 武蔵の墓 武蔵の墓宮本武蔵神社   宮本武蔵神社
 宮本武蔵神社宮本武蔵神社   宮本武蔵神社 

 

平福宿 (兵庫県佐用郡佐用町)
 平福宿 平福宿 平福宿 平福宿
 平福宿 平福宿 平福宿 

 

鳥取から因幡街道を通って佐用インターに出ることにしました。
途中に立ち寄った智頭宿の石谷家住宅にはその規模の大きさなどにビックリしました。

 

智頭宿石谷家住宅
 智頭宿
智頭宿
智頭宿
石谷家住宅  
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
 石谷家住宅
石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅
 石谷家住宅 石谷家住宅 石谷家住宅
智頭宿

 

 

砂の美術館
 兵馬俑/中国 兵馬俑/中国 人頭有翼の雄牛像/イラク ペルセポリスのレリーフ像/イラン
 古都アユタヤの遺跡/タイ 古都アユタヤの遺跡/タイ  カジュラホ寺院の壁画/インド エローラ石窟の彫刻/インド
 タージマハル/インド バーミヤン大仏と石窟/アフガニスタン アンコールトム/カンボジア 茶圓勝彦 砂像公開制作作品
  万里の長城/中国 万里の長城/中国 

鳥取砂丘は雨でした。
風が強く傘がひっくり返ってしまいました。
そんな中砂丘に上りました。

「風雨のなか妻が足跡を克明につけつつ砂丘を登れるを追ふ」 

 

鳥取砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
 砂丘 砂丘 砂丘 砂丘
  砂丘 砂丘 砂丘

 

 「ややありて脳裏に浮かぶは宍道湖の白鳥あるいは真雁数百」
 

須佐神社のある出雲市佐田町須佐から雲南市を抜けて宍道湖へ出ました。出雲空港のある宍道湖の西端から宍道湖沿いに松江の方に抜けられないかしらと車を走らせましたがそうは問屋が卸さずついには行き止まりとなり、仕方がないのでバックで戻るという冒険をしました。でもその冒険のおかげで宍道湖沿いの田んぼでビックリするような数の真鴨が落ち穂をつつくためか田んぼに集まっている姿を見たり、気ままな旅ならではの楽しみがありました。

宍道湖
宍道湖宍道湖宍道湖周辺の景色宍道湖
宍道湖I宍道湖宍道湖周辺の景色宍道湖
宍道湖宍道湖宍道湖宍道湖
 宍道湖宍道湖周辺の様子宍道湖周辺の景色 宍道湖

 

出雲市駅から30分ほど山の方へ入った処に在る、須佐神社へもお寄りになって下さい。あのスサノオノミコトの日本で唯一「魂」をお祀りした神社です。実を言いますと、私が育った村(現・出雲市佐田町須佐)でもあり、須佐神社は遊び場でもありました。
というがんてつさんの言葉に誘われて神西湖を見ながら須佐に出て雲南市を通って宍道湖に出るルートを選びました。美しい山間の静かな須佐に古い昔からこんな立派な神社があったなんて。。。
出雲の歴史を感じさせられました。

 

須佐神社
須佐神社周辺の景色
須佐神社周辺の景色
須佐神社周辺の景色
須佐神社周辺の景色
須佐神社
須佐神社
須佐神社
須佐神社
須佐神社
須佐神社須佐神社 須佐神社
須佐神社須佐神社
須佐神社
須佐神社
須佐神社周辺
須佐神社周辺
須佐神社周辺
須佐神社周辺

 

出雲大社(10月22日)

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 「或る説に出雲にいます神々は伊勢より追放、流竄の身とぞ」
 

出雲大社では朝のすがすがしい空気の中でお参りすることができました。

出雲大社
  出雲駅 出雲大社01
出雲大社02
出雲大社03
出雲大社04
 出雲大社05 出雲大社06 出雲大社07
 出雲大社08 出雲大社09 出雲大社10 出雲大社11
 出雲大社12 出雲大社13 出雲大社14 出雲大社15
 出雲大社16
出雲大社17
出雲大社18
出雲大社19
 出雲大社20 出雲大社21 出雲大社22 出雲大社24
 出雲大社25 出雲大社26 出雲大社27 出雲大社28
出雲大社29
 
 出雲大社30 出雲大社31 出雲大社32
出雲大社32
出雲大社33
 出雲大社34 出雲大社35

 

世界遺産になった石見銀山にも寄って行こう。
旅行出発の2日前に予定を変更し石見銀山に立ち寄ることにしましたので
下調べもあまりできていませんでした。
銀山地区に入り駐車場への案内板に導かれて行くと前日オープンしたばかりの
石見銀山世界遺産銀山センターでした。
お昼をかなりすぎて到着しおなかがぺこぺこなのに食事のできる施設はなく、
大森の町に行けばあるとのことで 先に大森の町に行くことにしましたました。
バスで行かないと駐車場が空いていないかもしれないとのことで
バスで代官所跡まで行き町並みを見ながら五百羅漢や銀山公園のあるあたりまで歩いて戻ることにしました。

「銀山にて繁栄せしとふ町並が悲喜の歴史を背負ひて現る」

 

大森の町並み
 代官所跡代官所跡付近の蕎麦屋 

小川もあります

代官所跡は資料館に
代官所跡の門から外を見る 整備された道案内 大森銀山地区長大の商家建築熊谷家 熊谷家住宅は国指定重要文化財 です
自転車タクシー? 

「郷宿」田儀屋遺宅 青山家

奥は勝源寺

銀山大森郵便局
民家酢醸造元

観世音寺

観世音寺

町並み お洒落なお店も目立ちます I代官所地役人遺宅旧河島家 電線の地下埋設工事でしょうか?

栄泉寺

最大級の武家住宅 阿部家 軒下の楽しい飾り?民家

 

五百羅漢
   五百羅漢  銀山で働く労働者の安全を祈願して作られたという 二十五年かかって明和三年(1766)3月に完成  小川の向こうに三つの石窟が掘られている
にはそれそれぞれの石窟に入る石で出来た反り橋が架けられています
こんな支えもありました
 石窟の入り口 五百羅漢を護るために建立された羅漢寺の石仏

 

石見銀山世界遺産センター
 石見銀山世界遺産センター内部 世界遺産の証明書? 石見銀山世界遺産センター入り口 

オープンしたての石見銀山世界遺産センターは石見銀山がどのようなものであったのか模型等を使ってとてもわかりやすく紹介してくれています。ここで予習をして坑道跡を見たり大森の町並みを見るとさらに感動が深まりそうです。しかし最大の坑道「大久保間歩(まぶ)」の見学は予約制でツアーは一日4回限り、通り抜けして坑道を見ることができる龍源寺間歩までぜひ行きたかったのですが路線バスは、平成20年9月30日で廃止となり、マイカーも乗り入れできないとのことで、徒歩では時間が足りずに断念しました。
 


 

万葉集の有名な歌人柿本人麻呂の一生は謎に包まれているのだそうです。 特にその末路に関しては諸説があり 歌人の斉藤茂吉は石見国で流行病に斃れたと言い大山隠岐国立公園・三瓶山のふもと島根県邑智郡邑智町湯抱を終焉の地としたそうです。 また、哲学者の梅原猛は第一回大佛次郎賞を受賞した『水底の歌』で「新人麻呂論」を展開し 持統・文武朝で何らかの事件に巻き込まれ失脚し、最終的に石見(いわみ)国(現島根県)に流され、そこで水死刑に処せられたと言っているそうです。 この『水底の歌』の影響か、あおぎりが、ぜひ一度、 梅原猛が人麻呂の終焉の地とした、今はもう無い、鴨島があったとされる益田市を訪れたいということで 柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされている戸田柿本神社、高津柿本神、三里ヶ浜、鴨島跡展望地などを訪ねました。 参考サイト http://www.kankou.pref.shimane.jp/mag/04/11/ht02.html

 10月20日

「人麿の生き死にのことが伝承と検証の間(ま)におぼろに揺れて」  

戸田柿本神社
  戸田神社への途中で見た高津川河口の風景
三里が浜沿いに山口県方面に暫く行き少し山手に入りました
静かなたたずまいの柿本神社鳥居
 戸田柿本神社由緒記
  石垣の飾り  柿の字が目立ちます 本殿の屋根
本殿
 この地方独特の瓦屋根の社務所 宝物殿? ご神体の説明看板 案内看板
  地区内にあった生誕の地の石碑 地区内にあった人麻呂の墓(遺髪塚) 

 戸田柿本神社は柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされているそうです。 梅原猛氏が1977年、戸田柿本神社宮司綾部家にある人麻呂の遺髪塚(墓所)を発掘調査した時、奈良時代までさかのぼれる可能性がある土器の破片が出土したそうです。 これを根拠に地元には、人麻呂の死後に縁者が骨をもらい受け、この地で霊を弔ったという言い伝えを裏付けるものだと考える人もいるそうですが骨は見つかっていないそうです。  

 10月21日

高津柿本神社
早朝の高津柿本神社
 万葉の植物と歌が出迎えてくれます 高津柿本神社桜門 「石見路に歌の神あり月の秋」の句碑
 神社本殿を望む  人麻呂辞世の歌碑 鴨島遺跡海底調査の説明 海底から引き上げられた石
 人麻呂社の額
人麻呂の像
 万葉公園への道 鴨島遠望台の碑
 万葉の植物と歌 益田市街と人麻呂の歌 益田市街と人麻呂の歌 この地方独特の瓦屋根が見える

 万葉公園に隣接した高津柿本神社は益田の人達の憩いの場所でもあるようで朝からお掃除をしていたり、ウォーキングをしている人達を眼にしました。 昭和52年に梅原猛氏を団長とする調査団が鴨島跡の海底調査を実施し、万寿3年の津波が推定される結果が出たと言われているそうです。 この時海底から引き上げられた、階段の石ではないかと思われる石が境内に置かれていました。

 

鴨島跡地遠望の碑を探して 久城が浜センター
 インターネットで大体の場所をみつけ そのあたりをナビに登録 近くのお店で聞いてもそれなに?って感じ きっとこの辺にと海岸に出て探すけれど
 それらしい碑はみつかりません
綺麗な山陰の海なのに・・・
 草木が生えていますが砂丘のようです その砂丘に上り
 草木をかき分け
線路を越えて
 人家のあるところへ戻りこのお宅で伺うと そのような碑を見たことがあると・・・
教えて頂いてやっと出会えましたこの碑
 こんなところにあるなんて・・・ 海岸ではなく 海を望める九城が浜センター(屎尿処理場)の入り口にありました

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