山陰の最近のブログ記事
出雲市駅から30分ほど山の方へ入った処に在る、須佐神社へもお寄りになって下さい。あのスサノオノミコトの日本で唯一「魂」をお祀りした神社です。実を言いますと、私が育った村(現・出雲市佐田町須佐)でもあり、須佐神社は遊び場でもありました。
というがんてつさんの言葉に誘われて神西湖を見ながら須佐に出て雲南市を通って宍道湖に出るルートを選びました。美しい山間の静かな須佐に古い昔からこんな立派な神社があったなんて。。。
出雲の歴史を感じさせられました。
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世界遺産になった石見銀山にも寄って行こう。
旅行出発の2日前に予定を変更し石見銀山に立ち寄ることにしましたので
下調べもあまりできていませんでした。
銀山地区に入り駐車場への案内板に導かれて行くと前日オープンしたばかりの
石見銀山世界遺産銀山センターでした。
お昼をかなりすぎて到着しおなかがぺこぺこなのに食事のできる施設はなく、
大森の町に行けばあるとのことで 先に大森の町に行くことにしましたました。
バスで行かないと駐車場が空いていないかもしれないとのことで
バスで代官所跡まで行き町並みを見ながら五百羅漢や銀山公園のあるあたりまで歩いて戻ることにしました。
「銀山にて繁栄せしとふ町並が悲喜の歴史を背負ひて現る」
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オープンしたての石見銀山世界遺産センターは石見銀山がどのようなものであったのか模型等を使ってとてもわかりやすく紹介してくれています。ここで予習をして坑道跡を見たり大森の町並みを見るとさらに感動が深まりそうです。しかし最大の坑道「大久保間歩(まぶ)」の見学は予約制でツアーは一日4回限り、通り抜けして坑道を見ることができる龍源寺間歩までぜひ行きたかったのですが路線バスは、平成20年9月30日で廃止となり、マイカーも乗り入れできないとのことで、徒歩では時間が足りずに断念しました。
万葉集の有名な歌人柿本人麻呂の一生は謎に包まれているのだそうです。 特にその末路に関しては諸説があり 歌人の斉藤茂吉は石見国で流行病に斃れたと言い大山隠岐国立公園・三瓶山のふもと島根県邑智郡邑智町湯抱を終焉の地としたそうです。 また、哲学者の梅原猛は第一回大佛次郎賞を受賞した『水底の歌』で「新人麻呂論」を展開し 持統・文武朝で何らかの事件に巻き込まれ失脚し、最終的に石見(いわみ)国(現島根県)に流され、そこで水死刑に処せられたと言っているそうです。 この『水底の歌』の影響か、あおぎりが、ぜひ一度、 梅原猛が人麻呂の終焉の地とした、今はもう無い、鴨島があったとされる益田市を訪れたいということで 柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされている戸田柿本神社、高津柿本神、三里ヶ浜、鴨島跡展望地などを訪ねました。 参考サイト http://www.kankou.pref.shimane.jp/mag/04/11/ht02.html
10月20日
「人麿の生き死にのことが伝承と検証の間(ま)におぼろに揺れて」
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戸田柿本神社は柿本人麿が生まれたところという伝説がのこされているそうです。 梅原猛氏が1977年、戸田柿本神社宮司綾部家にある人麻呂の遺髪塚(墓所)を発掘調査した時、奈良時代までさかのぼれる可能性がある土器の破片が出土したそうです。 これを根拠に地元には、人麻呂の死後に縁者が骨をもらい受け、この地で霊を弔ったという言い伝えを裏付けるものだと考える人もいるそうですが骨は見つかっていないそうです。
10月21日
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万葉公園に隣接した高津柿本神社は益田の人達の憩いの場所でもあるようで朝からお掃除をしていたり、ウォーキングをしている人達を眼にしました。 昭和52年に梅原猛氏を団長とする調査団が鴨島跡の海底調査を実施し、万寿3年の津波が推定される結果が出たと言われているそうです。 この時海底から引き上げられた、階段の石ではないかと思われる石が境内に置かれていました。
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