第一歌集<白幻>:例歌

 さまよへる魂(タマ)が泣くゆゑ葉叢漏る淡き光よたゆたふなかれ

 群衆が懐かしかりき人間を焼くがにネオンまたたく街よ

 醜悪なるドームを守りきたりしは原爆症で死なざりし民

 くさぐさの語らひ細き蘂に秘め茶房の卓に菊こぼれをり

 BGM流るる茶房の灯に淡き卵の恋は美しきかな

 夜の闇に丘を隔てて薔薇咲けりするどき死臭を放つ淵の華

 逃げ水の透き影逃げてゆくを追ひアクセル踏めば車軸がきしむ

 炎天に冥き寂しさせめぎつつハイウェイ濡らす非在の水よ

 飛び去りし熊蝉に似るあはれさに夏の偽水(ギスヰ)は常にはるけし

 紫の王朝の夢覚めざらむ源氏物語読み果ててのち


 君かとも誰とも分かぬ白幻が身体(カラダ)吹き抜けこの身よろけぬ

 うつくしき水かがよへる気配してふと振り返り汝(ナレ)が名呼べり

 うたた寝はきらめく疾風(ハヤテ)苦き初夏の午後の日差しをはらむ木陰の

 夕靄に熱冷めやらぬ大都にてむらさき寒き落日を見き

 人間が不安さうなる街なれば公園に見る昼の月痛し

 夜の更けにくるまの遠音(トホネ)聞こえきてどすんと鈍き音が続きぬ

 市街地に神事の花火散りにけり間遠に見えて音のたまゆら

 いづちにも蝉絶え絶えに鳴きをればうち払ひたき焦燥に醒む

 晶子らのかろきたましひ空中に犇めきをらむ闇の隈々

 屈みし時まなこ掠めし星を取りて自動車うるさき路へ投げたり


 茜さす西に君をし偲ぶとき輝きやまぬ夕星(ユフヅツ)が邪魔

 水涸れて底あらはなる溜め池に雷魚が二ひき行きし跡見ゆ

 うたた寝に沈みゆくとき乳の風やさしくわれを愛撫して過ぐ

 学舎(マナビヤ)の上に朝日子出でしときやぶれ声にて鶯鳴けり

 ただ一つ残りゐる星の輝きを額に当てて天に真向かふ

 色淡き木賊につきし朝露をたち消しながら風白き丘

 チャイコフスキー・ピアノトリオが脳天を駆けめぐりつつ朝(アシタ)澄みたり

 膨らみし苦衷の潰れ鎮まるを待てば音なき早晨の雨

 朝の雲の破(ヤ)るる際より漏れ陽ありて東の山に家ひとつ見ゆ

 人の生(ヨ)の〈象徴の森〉に佇めば一樹一樹を血染めなす朝


 惑乱の頭蓋を風が削りゆきその灰神楽日にまばゆかる

 太陽を鷲掴みしたき衝動を稚児性ゆゑと嗤ひとばすか

 太陽よ水膨れせる臓腑より溢れ出でくる蛆虫を焼け

 耐へ難き苦渋ののちに来し丘でお玉杓子の共喰ひを見き

 春の日の胡蝶の翅に紛れつつわたしの霊がはらはらと翔ぶ

 自が踏めるおのれの影の薄くして星幾すぢも墜つる暁

 あさまだき地面にありて鳴き初めし雲雀の尾羽根土に触れつつ

 電柱の高きゆ工夫が余りたる銅線落とすただ無造作に

 点の光浮くが寂しき心地して追へばうつろに舞へる螢か

 雲の鳴る音快し胃に残る朽ちし苦渋の残滓溶けつつ


 残り日のなかに黙(モダ)せる砂礫にて君の形見を踏めばにがしも

 柔らかき弦の調べの二次波立ち孤りの胸にちから吹き込む

 現(ウツツ)とも知らず背けし頭(ヅ)の上に夜の虚飾が渦巻きてあり

 夏空に宙返りすれど虚し虚し肩先の風星を呼べども

 螢火となりて渦巻く灯の群の中にドラキュラの家もあるべし

 鬼哭(キコク)はや許されざれば震へつつ肩を丸めて抱く風熱し

 混沌たる天(アメ)と地(ツチ)との中ほどにネオン悲しき血の色流す

 熱ふふむ湖(ミヅ)に映れる路の灯に蛾の舞ひしをり風止みにたり

 午睡してうたたねすがしと得言ひざらめ窓を打ち抜く紅色の日に

 池に浮く芥に臥して鳴く蝦蟇の背(セナ)の夕映え悲劇的なり


 夕茜射す休日のまなびやに自が白骨のかぎろへる見ぬ

 扉(ト)が跳ねし音そら耳か居るはずもなき怨霊を廊下に探る

 胸に巣喰ふ嚔をしゃぶる心地にて幼き日々の想ひ出怒濤

 生けるもの争ひやまぬ地底より積乱雲たかく高く育てり

 おほよそはひと様々につたなくて生の大事を知らぬどんぐり

 シクラメン花咲き盛る路の辺に孤愁しづめむ蟻塚あれな

 酩酊の人こそあはれ夏の魔の影振り払ひ欲らば揮発も

 灯の下の泥に嵌りし自動車と蝦蟇を夜更けの驟雨ぞ薙ぐ

 暫時演ずる白痴ごころにさんざめく校庭の雨海図を創る

 あへて麗しと言はず雨しぶく路面を雷光なぐりて過ぐるを


 雨に凛き道遠々に行き往くに小屋のあかりを過ぎてまた冷ゆ

 潮の路まかがやきにつつ東進し西下するとき鳥居脚見ゆ

 椅子に寝ねしあかつき地揺れの襲ひきてまなびやの床臍より揺れぬ

 震へるは吾れのみなれや地に這へば空気のごときたましひぞ逝く

 月低き間道を経と芝踏めば露玉うちて飛び立てるぬゑ

 去りし家想ふにあらず夜半のこの刻一刻がすでに気遠し(ケドホシ)

 肩を越す熊笹の道黙(モダ)ゆけば忘れゐるとき疾風(ハヤテ)に騒ぐ

 車の灯逆光に浴びシェパードの吠えむと吐きし息荒々し

 身の内に死を欲る箇所がつねに在りてその訴へを殺すとき汗

 涙こそ出づれ失せにし吾が愛を傷付けはせぬショスタコーヴィッチ


 スレルツォが時計の刻む音節とピタリ合ふ間は何か満ち足る

 朝寝して外(ト)の面(モ)に寄れる鳥が音(ネ)と聴き入れば吾の鼻孔の鳴れる

 あめつちの全的調和は確かにて個の醜さを明けに思はず

 木枯らしに氷(ヒ)のつぶてなし砂塵舞へる夜の交差路をまたひとつ過ぐ

 研ぎたての超鋼バイトにくろがねの削片螺旋に伸びゆきにけり

 メタルの肌傷つき易し人肌を撫づるがごとくそっと磨けど

 金属の塑性を統べて転位線流るるさまは蛇這ふごとし

 ゆきずりの寺塀にさっと垂らされし朱のペンキはも石の出血

 赤き桶の隣に青き桶ありて満水なればかたみに映る

 焼くごとき熱き音なすこがらしを乾きし頭蓋の咆哮と聞く


 水出せば蛇口のプラスチック器具落ちて凍りし床に跳ねたり六たび

 身をめぐり砂こがらしの巻き募りしののめ涸れてただ白き道

 ぶちあけし水しばらくは青々とタイルを染めて溝に落ちゆく

 明りなき湖(ミヅ)なればなほ生けるものさはに孕める美しき虚無

 夜の風に舗道をザザと滑り来し段ボール箱は空虚を満たす

 寂し寂し寒風の中バス待つとパチンコ店の扉口に佇てり

 はねられし猫はのみとを裂かれけむ血を散らしつつ声なく足掻く

 人をらぬ銭湯なればゆらめける湯舟にざんぶと入りて快感

 湯殿にて老にまつはりはしゃぎつつ童女さらしぬ美しきほと

 何時よりか隆起まぶしきその胸にやや誇らしげに触れしめし汝よ


 <第九>ふとしづまれる間をうちとよむ除夜の鐘なり底力満つ

 ウィーンフィルをフルトヴェングラー指揮したるベートーヴェンの第七ふかし

 就中かのダイナミックステレオの粉飾はいまジャズに極まる

 ドラム飛んで右翼の弦群呼応せむ一瞬ベームのタクトが躍る

 妥協なき不協和音の連続にベートーヴェンの重量感あり

 楽流すステレオの上に額ありてフルトヴェングラーの碧き眼差

 いつしかも変はりし曲はギターにて茶をふふみつつイエペスかと聴く

 効果的打音と聴ける鐘の音の澄みつつを待ち弦しづかなり

 チェンバロの軽さよろしも快く女人の肌にうち震ふ見えて

 おもほえずベルリオーズに鐘の音(ト)を聴きたるときの切なさ今も


 存分に音を溜めつつひとときの惑溺としてジャズ湧き出づる

 右方まだバッハを奏で左方よりそを崩しつつジャズとなりゆく

 ただ直に肉とぞ聴けるジャズにふと慈愛あるときにはかに悲し

 満堂の交響曲のただ中に禿頭揺らす翁ありけり

 管弦の音量至極がいちどきに止みたるしばし鳴るに勝りぬ

 弱音に移る男声そを切りてクレッシェンドにソプラノ響れり

 純潔は強しをのこに混じるときなほ透き徹るバージンコーラス

 湯冷めせぬ季節となりし夕べにて虹鱒に似る砂けぶり立つ

 しきり立つかぐはしき音(ネ)はあめつちの間(アヒ)こめて舞ふ春雪なだれ

 気狂ひと罵りし汝のその時の黄泉わたる眸(メ)をせめても一度


 脈動に載ればか強き少女らの吾が肉片を月に飾らば

 秀もなさぬ波の寄るたび吾に寄れる汝の胸乳のふさふさとせり

 耐へきれず窓に雨滴が垂れしときテレビ笑ひて階下を満たす

 いつよりかかく皺深き母なるやみ面にそそぐ雪はなやぐに

 連ね置く工学書類はそれぞれに迫力秘めて端座せりけり

 螢火に母堂のみ魂を視しといふ小林秀雄の思はれてならず

 酔ひ痴れて歩むおのれにこの道はダーカンジェロの<高速道路>

 浮藻辺に波寄せてくる群鯉の打ち合ふ体(タイ)に虹立てり見ゆ

 まなびやの池に百余の鯉住みて押し合ふときの<越の秘色>(ヲチノヒショク)よ

 曇る夜底まで蒼き水中に魚の飛跡がをりをり光る


 夕茜あした晴れなむ約束の酒池肉林を見つつ死ぬべう

 片側の肺切除せし老教授わが心処(ココロド)のごとよろめけり

 掌で打たばはじき返さむ目下(マナシタ)の瀦水(チョスヰ)のごともチェンバロ鳴れり

 見下ろしの瀦水の凍る折々に吐き出されゐし雑魚を思へる

 驟雨きて瀦水(イケ)けぶりゆくあなあはれ水の精はも沸きたつごとし

 暗照明瀦水(イケ)の芯より湧く闇に若き緋鯉の肌にじむ見ゆ

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 全かる調和を破り躍り出でし裸女はも古都に狂ひたらしも

 剛肉(コハジシ)のをんな踊れりフラダンス耳無山に木霊を呼びて

 踊り子は無我の境地に入りたるらし両乳(モロヂ)の照りが微動をたもつ

 青き汗噴きつつ踊るをんな一人紗の腰布にとんぼ纏はせて

 鹿奔り私も走り汝もはしり大仏殿燃えてみ仏踊る

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 信仰の虚しさに在る心地にて麦畠吹く南風(ハエ)を見てをり

 夕光る雲の垂れ尾に蚊遣り焚きそに噎びつつひとりを生きな

 老朽の舗道の窪に水溜まり油日照り(アブラヒデリ)のひもじかりにき

 吾が友よタイルに塵の積みたるらし そを拭ひ取れ脂塵(アブラヂリ)ゆゑ

 湯帰りの額の汗に秋風が吹けば針刺すごとき快感

 笹原に月きりきりと舞ふ秋を生きむと決めてただに走りぬ

 胸底に疼く憤怒を射られつつ月に真向かひ笹原を行く

 ゆゑありて怒りは湧きぬ秋天にわらふ仮面がなほし嗤へば

 真夜にして新興宗教教団の館の甍慈雨に濡れたり

 黄昏に自動車の吐く白煙が道を這ひあかくひかるたまゆら


 山腹を雲動き来て公孫樹の抽きたるごとき黄の色奪ふ

 鋼鉄のごとき巖ゆ落つる水その白濁にもみぢ混じれり

 風払ふ無尽数木の葉が空中にざわめきしあと層流を成す

 山の雨百合の萼(ウテナ)を打ち初めぬあな優しとぞ友に告げむか

 友もまた今宵の闇は澄むと言ふ雨清めたる街に入りつつ

 歳晩の黄昏の街歩みつつ骸(ムクロ)に似るは吾れのみならず

 その夢の覚めぎは庭の古木透き空がまっ赤に咲きてをりたる

 埃立つ日溜まりにゐてアパートより響きくる琴<春の海>を聴く

 西行も散らまく惜しみ夢に見しその花見つつ木曽谷を行く

 研ぎたてし長短五本の鉛筆が匂ひ立ちをり私語するごとく


 もの言はぬ山にこそあれ群衆の跫音返さぬ真昼のビルは

 さまよへる胸の奥処の呟きのはかなごとのみ天にとどけり

 赤き眸のばった透明のみどりにてふはり過ぎぬあどけなき貌

 無目的的なる歩みをとどめたり道に死にゐる頬白の前

 <生命の自覚>の意味を歌人われが唯物論者の我に説きをり

 幼子のべた塗りの絵に心ありと抽象衝動を言ふは事大か

 庭隈に咲き盛る梅が暮れてのち闇に沁みゆくと見つつ切なさ

 耳底に残る機械音の闇中へしんしんと金の日は落ちゆけり

 夕日影朱の自動車の往きしあと犬と少女が砂塵におぼろ

 扇風機の緑の風もすさぶかなエゴイストとぞ二度言はれたり


 都心にて鉄骨を組む工夫らの個の悲しみは知らず見てゐる

 汗垂らひ行くせはしなき人々のもつ悲しみは量り兼ねたり

 胎にゐて繋がれをるが耐へ難く臍の緒切りし擬似記憶はや

 夜の丘に鈍く灯せる土工の家ゆ鶏を裂く匂ひ満ちたり

 雨水の上澄みの上に燃え殻の漂ふほどに風落ちにけり

 錆の色濃き逗子型の風鈴に夕べ舗道の打ち水の光(カゲ)

 焼け落ちし家を囲へるブリキ板剥がれはためくバス事故の夜に

 樹林に向く窓を開くれば朝の風机上に蝉の亡骸吹かる

 悪魔的軍事衛星が水色の地球を窺ふその飛跡見ず

 秋の河曲がり逝く江に聖処女の噛み成す美酒の愁ひ漂ふ


 ばった跳ぶ音ひびきけりうち見れば芝生地帯に秋の日たけて

 悲しみのたゆたふごとし高丘ゆ見れば大都はガス靡きゐる

 いささ雨初夜を通れり路を這ふ湯気に紛れてものの行き交ふ

 四次元に水母のやうな霊魂の存在説かば現代的か

 四階の窓に暗幕はためくは秋空に発つ親鸞の影

 黄昏のビル街を越え親鸞の影ひびきつつ亘り逝く見ゆ

 排気ガス西にかかれり日蓮の気迫に満つる影も薄れし

 そを聴かば涙せきあへぬ旋律を思ひ出でむに いや昏きかも

 新邸のひさしに吊す風鈴にわが往還は洗滌されつ

 白天の神の声さへ遠退(ゾ)きてやがてなんにも聞こえず 孤り


 雷雲のゆるく垂れたる丘の上に笹の葉鳴れり電気を帯びて

 高々と夜空にひとつ花火あがりきのふといふ日の遠き寂しさ

 この宵は泥より粘き疲れあれば蓮華のごとき花を待つべし

 時を待つ生のくらさをたとふれば硯の海に文(アヤ)なす摺り墨

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 人は皆ゆゑなき罪を負ふものか童女のごとき妻の空微笑(カラヱミ)



  人  時  こ  高  雷  白  新  そ  排  四  四  い  ▽   
  は  を  の  々  雲  天  邸  を  気  階  次  さ  縦
  皆  待  宵  と  の  の  の  聴  ガ  の  元  さ  書
  ゆ  つ  は  夜  ゆ  神  ひ  か  ス  窓  に  雨  き
  ゑ  生  泥  空  る  の  さ  ば  西  に  水  初  の
  な  の  よ  に  く  声  し  涙  に  暗  母  夜  例
  き  く  り  ひ  垂  さ  に  せ  か  幕  の  を  △
  罪  ら  粘  と  れ  へ  吊  き  か  は  ご  通
  を  さ  き  つ  た  遠  す  あ  れ  た  と  れ
  負  を  疲  花  る  退  風  へ  り  め  き  り
  ふ  た  れ  火  丘  き  鈴  ぬ  日  く  霊  路
  も  と  あ  あ  の  て  に  旋  蓮  は  魂  を
  の  ふ  れ  が  上  や  吾  律  の  秋  の  這
  か  れ  ば  り  に  が  が  を  気  空  存  ふ
  童  ば  蓮  き  笹  て  往  思  迫  へ  在  湯
  女  硯  華  の  の  な  還  ひ  に  発  説  気
  の  の  の  ふ  葉  ん  は  出  満  つ  か  に
  ご  海  ご  と  鳴  に  洗  で  つ  親  ば  ま
  と  に  と  い  れ  も  滌  む  る  鸞  現  ぎ
  き  文  き  ふ  り  聞  さ  に  影  の  代  れ
  妻  な  花  日  電  こ  れ     も  影  的  て
  の  す  を  の  気  え  つ  い  薄     か  も
  空カ  摺  待  遠  を  ず     や  れ        の
  微ラ  り  つ  き  帯        昏  つ        の
  笑ヱ 墨  べ  寂  び  孤     き           行
   ミ     し  し  て  り     か           き
           さ           も           交
                                   ふ

                                 


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