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梧桐学の「いい歌ですね」2005年まで分
過去ログより少しずつ「いい歌」を抜粋してみます。時々のぞいて下さいね。

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*--- 歌の題名 ---*
1.木枯らし   有袋類   立冬   石狩   母の孤独   虹の輪の中   喪が明けて   大きな夢掴んでね   工場の金木犀   読書の秋
2.満ち潮   影法師      秋明菊   金木犀   半島の静かな町に住んだ思い出    薪能      十六夜の月   木犀
3.時間   さるすべり      マニキュア   星空   母旅立ちぬ   逸れ鳥   白百合   夜風   義父
4.風鈴   流星   ポプラ並木   蛍追う   残映   風鈴   通り雨   ベビーシュズ   トーチカ跡   名曲
5.夜汽車   to make tanka makes me comfortable   時空をこえて   花氷   飢餓ゆゑに   ピアス    若き日を偲びて
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夜汽車2001/07/23(月曜)

「切れ切れの時を紡ぎて何処かの夜汽車の胎に我が不眠あり」(酔狂)

初句、工夫のわりに生きていません。また、「胎」も工夫されたのでしょうが、却って印象があいまいになりましたね。こういうときは、むしろ場所をはっきり言った方がいいです。結句もあいまい、これもはっきり言ったほうが印象に残るでしょう。言い切るかぼかすかは状況次第、歌材次第です。

改作(梧桐):
「朦朧と時流れつつ何処への夜汽車の上か眠られずをり」

またまた、いい歌ができました。

技巧に凝りすぎました
ただ、「切れ々の・・・・」は
自分では気に入っています
いずれ、これを生かせるよう再挑戦します
「何処かの夜汽車」と「何処への夜汽車の上か」の違いは
粋狂が思う以上の違いがありそうです。考えてみます


「切れ切れ」を活かしたい、ですか。それでは、

改作-2(梧桐):
「切れ切れに時流れつつ何処への夜汽車の上か眠られずをり」

これでも十分いい歌ですね。たしかに、初句「切れ切れに」で半睡状態がよく出ています。夢うつつの朦朧とした状態ですね。「うつつ」に還るたびに少しづつ時間が過ぎている・・・


to make tanka makes me comfortable2001/07/20(金曜)

先週沙羅樹(夏椿)の花を見に生きました。釈迦の最期をみとったとされる
1日しか咲かない落下花です。桜以外は「〜の花」をつけなくてはならないと聞いたのですがどうなんでしょう。


沙羅双樹はおっしゃる通りお釈迦様の最期を思わせます。「平家物語」の巻頭にも出てきて、その短命が「盛者必衰の理(コトワリ)」の象徴に使われていることは余りにも有名ですね。
「花」を付けるかどうかは、詠み方次第です。「和歌」の時代はそうした約束事もあったでしょうが、「短歌」の現代、「花」と付けることでその印象が一層引き立つのならそうするわけです。字数の制約も考えねばなりませんね。現代短歌には、約束事は何もないと考えていいです。短詩であるという基本と、5−7−5−7−7という定型としての韻律を活かして、自分が得た感動をいかに詠うか、いかに読者に伝えるか、だけだと言ってもいいでしょう。だから、誰でも気軽に自由に作歌できる次第にて。英語混じりもまた結構ですね。(ははははは。俳句は「HAIKU」と、短歌は「TANKA」と綴り、英訳されてもいるし、英語で作られてもいる。短歌の場合、5−7−5−7−7にこだわるわけにはゆかず、それに似せた短英詩ですが。短歌の中に英語を入れるときはこの韻律を守ることが前提になります。)挑戦してみて下さい。

「沙羅双樹白い花びら震わせてその日限りの命さしだす」(nanami)

この歌は、沙羅双樹の花は勿論、この美しい名前に感動している趣ですね。それならば、そのように詠みたいところ。動機からはもっと深みも添えられそうです。

改作(梧桐):
「沙羅双樹のま白き花が日に震へ釈迦涅槃図を吾は思ひゐき」

いい歌ができました。


時空をこえて2001/07/20(金曜)

30メートルはあったでしょうか「生きている化石」といわれるメタセコイア
の樹が夏空に向かって真っすぐそびえるように立っている様を詠んでみました
「太古より時空のながれを悠然とメタセコイアはなおも雄々しく」(桐子)
    (時空=とき)。



メタセコイアは、我が職場にも列なして立っています。樹齢20年そこそこの若樹ですが・・。この歌、抑揚が乏しく印象が薄いのが残念ですね。北米あたりでの嘱目でしょうか。また、時空を「とき」と読ませるのはちょっと無理のようです。「時」と「空間」は別ものですからね。「じくう」の読みでいいのでは?

添削・改作(梧桐):
「聳え立つメタセコイアの森に満つ幾千年の時間の流れ」

これでいい歌になりました。


花氷2001/07/20(金曜)

氷柱に命を閉じ込められた花を見て切なさを覚えました。

「閉ざされて紅艶やかに花氷カフェテラスの卓に滴る」(かすみ)


視点はさすが、ですね。添え書きを生かしましょう。

添削・改作(梧桐):
「氷柱に命閉ぢ込めらるる花あはれ真紅の滴をたらす」

これなら、いい歌ですね。


飢餓ゆゑに2001/07/14(土曜)

「飢餓ゆえに言葉失う人ありて言葉に飢えし我は痴れ者」(酔狂)
いやいや、酷評などと。酔狂さんの作品は迫力があり、力があります。今回の作品はそれに応えるだけの歌材・内容ですね。これにさらに言葉つまり詩語としての美質を求めるのは酷というものかも。それが酔狂さんの個性ならば、なおさらです。これはこれでいいと思います。
もちろん、あおぎりなりの添削・改作は出来ます。

添削・改作(梧桐):
「飢餓ゆゑに言葉失ふありといふ言葉に飢うる吾は痴れ者か」

これで語の流れもよくなり、緩むところなく、語韻も悪くない、余韻もそこそこの、一級品の文語正統派短歌が出来ました。結句、原案のように言い切るのではなく、上のようにすれば余韻が深くなるわけです。語韻とか余韻は短歌の生命を担う重要な因子です。日本語の美しさの一側面です。
 勿論、酔狂さんが捉えた歌材が良かったから、このような含蓄ある秀歌が出来たのです。ほとんど酔狂さんのお手柄です。

(注:「言葉失ふありといふ」=言葉を失う者があるという、の意味。
「失ふ」は連体形で、それを受ける連体語(「者」)を省略した形。「飢うる」は「飢う」の連体形。「飢う」は下二段活用の動詞。飢ゑ、飢ゑ、飢う、飢うる、飢うれ、飢ゑよ、と活用(変化)する。)


ピアス2001/07/13(金曜)

「梅雨月夜ピアスを片方落としたの見つかるはずなのもう少しいて」(nanami)

ピアスとあるから、若い女性ですね。添削には最小限の情報が必要でしてね、若いかご年配かくらいは知らないと。(最近は青年男子もよくピアスをしていますね。しかし、歌の感じからは明らかに女性。)
この歌、ピアスをうっかり落としたので、デートの相手を待たせて、月明かりを頼りに探している、という情景ですね。
初句「梅雨月夜」、苦労して探しあてた言葉かも。これまでにない表現、新しい表現です。今年は空梅雨で、月夜も珍しくなかったわけですが、短歌の常識的語法からは、やはりちょっと無理かな、という感じがします。雨の文字が入った「梅雨」という季節用語は、やはり雨天をどうしても連想させてしまうのです。
また、全体的にも語の運びがちょっと滑らかさに乏しいかな。例えば「片方」とわざわざ言わなくてもいいのでは?同時に両方を落とす確率は低いから。このように筋立てて考えて行き、無駄な言葉をなるべく省いて.真に言いたいことに焦点が当たるように組み立てるのです。
こういうと、大変そうですが、いやなに、数多く歌い込んで作歌に慣れてくると、自然にそのようになってゆくものです。
今回が最初だから、これ以上あまり難しいことは言いません。

ちょっと起伏を付けるようにしてみましょう。

添削・改作(梧桐):
「雨季だから潤んだような月明かり 落としたピアスあなたも探して」

口語短歌としてはいい出来になりました。


若き日を偲びて2001/07/12(木曜)

「年を経ていかになりけむ若き日に君と歩みしコスモスの道」(桐子母)

相変わらず素直な詠みぶりですね.このままでもいいですね.もう少し抑揚があれば,なお良くなるでしょう.

添削(梧桐):
「若き日に君と歩みしコスモスの道がしきりに脳裏に浮かぶ」

七月の入道雲を詠みし人今我一人それをながむる」(桐子母)

改作(梧桐):
「夏の雲詠みしかの人いまいづこ 眺めて佇てば過去のはかなさ」
        (佇てば=たてば。立てば、より茫然としている様が強い)

いい歌になりました.


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