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梧桐学の「いい歌ですね」2005年まで分
過去ログより少しずつ「いい歌」を抜粋してみます。時々のぞいて下さいね。

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木枯らし2001/11/09(金曜)

先日吹いた木枯らしで木々は葉っぱをたくさん落としました。
落ち葉は自然に片隅に集められ、次の風がきてそこでカラカラと舞っていました。


そうですね.木枯らしの季節です.
今日などは穏やかですが.

「片隅に吹き寄せられた柿の葉は木枯らし吹いてカラカラと舞う」(あゆ子)

「柿の葉は」ではなく,「柿の葉が」でしょうね.「カラカラと舞う」は「カラカラと鳴りながら舞う」ですね。もちろん、大幅に字余り。「木枯らし吹いてカラカラと舞う」も、初二句の「片隅に吹き寄せられた」を考えると変です。木枯らしで片隅に吹き寄せられたのでしょうから。また、どこの片隅ですかね。庭ですか、道路ですか、遊園地ですか、どこかの広場ですか。こうした事がみんな重なって、全体を読み通してみたとき、何となくしっくりこない、と感じるのです。(こうしたことは、短歌に限らず、国語の作文、また手紙の書き方にも通じることですね。短歌では、字数制限のある韻文ですから、一層目立つだけです。)

添削・改作(口語新仮名遣い)(梧桐):
「木枯らしに吹き寄せられた柿落ち葉広場の隅でカラカラと鳴る」

これなら情景もすっきりと分かって、しかも十分詩的で、いい歌ですね。


有袋類2001/11/07(水曜)

「膝の上で有袋類のぬくもりに包まれている吾子の首細し」(里穂)

幼稚園から帰ってきてべたべたと甘えてくる子供は
まるで母親のお腹の中にもう一度戻りたいとばかりに
くっついてきます。有袋類のように私のお腹にも袋があったら
入れてあげられるのに。


折角の結句「吾子の首細し」ですが、利いていませんね。首が細く見えたのは事実でしょうが、そのことと、その前に言われていることとどう繋がるか、です。

改作(梧桐):
「甘え寄る娘(こ)の可愛いさよもう一度お腹の中へ入れたいほどに」

これなら、いい歌ですね。


立冬2001/11/08(木曜)

「立冬と聞くさへ寒き案山子かな独りポツンと残され居るも」(桐子)

短歌として大体いいですが、結句が少し甘い、ですね。

添削・改作(梧桐):
「『立冬』の語韻も寒く荒畑にひとつポツンと案山子立ちゐる」

これなら深みも出て、いいですね。


石狩2001/11/05(月曜)

「灯台の遠く点りて石狩に雪の気配か海は漆黒」(酔狂)

短歌が癒しになれば幸いですが。この厳しいご時世では・・・。
 ところで、北海道はもう雪だそうですね。それならば・・・

添削・改作(梧桐):
「漆黒の海上遥か灯台が茫(ばう)と点りて石狩は雪」

実質のある雄大さ。いい歌ですね。こんな情景を実際に見てみたいものです。


母の孤独2001/11/04(日曜)

「空見あげ呟く母の晩年は孤独なりしか判る齢なる吾」(九里多朗)

結句が大幅な字余りですね。自然な字余りなら気になりませんが、これは少々気になります。また、お母さんは亡くなられているのですね。すると、「呟く」が気になります。過去のことの筈だから。「・・なりしか判る・・」も、言葉の続き具合としてよくないですね。

添削・改作(梧桐):
「空見上げ呟きゐたる晩年の母の孤独は今われのもの」

いい歌になりました。


虹の輪の中2001/11/04(日曜)

「『ミテ!ミテ!』と見知らぬ吾に呼びかける幼な子ふたり虹の輪の中」(須美)
夕暮れ時に道を歩いていたら一度も遭ったことのない子が一生懸命虹を指差して私に目を輝かせて訴えているのに嬉しくて感動しました。      虹の輪の中・・・・・・気になりますが、気持ちとして輪の中に幼子がすっぽり入った感じでした。虹はきれいにつながった虹でした。宜しくお願いします。



添削・改作(梧桐):
「『見テ!見テ!』と見も知らぬ子等うったえる夕七色の虹の輪の中」

アハ、いい歌になりましたね。この子らは、「虹を見て」と言っているのですが、「虹の輪の中にいる自分たちを見て」と言っているようにとれます。そこがいいですね。(夕七色の=ゆうなないろの)


喪が明けて2001/11/01(木曜)

過日亡き実母の四十九日の法要を済ませました。

そうでしたか。改めて悲しみ・寂しさがこみ上げたことでしょうね。

「喪が明けておだやかに答える父 いつの日からか小さくなりぬ」(あゆ子)

添削・改作(梧桐):
「喪が明けて所作おだやかになりし父そこはかとなく小さくなりて」

いい歌ですね。
「姿見にかたみの着物を写しみる母と見まがふ我そこにいる」(あゆ子)

「かたみ」は「互み」ではなく、「形見」ですね。肝心な言葉ですから、漢字の方がいいでしょう。(「見」が重なるようですが、全く意味が異なり、全然気になりません。むしろ同文字のイメージをひきずって、効果的です。)

添削・改作(梧桐):
「姿見に形見の着物きて立てばそこにまさしく亡き母がいる」

これもいいですね。


大きな夢掴んでね2001/11/02(金曜)

「含みつつ乳房に添へし小さき手がいつか大きな夢掴まなむ」(桐子)

かっての我が子。その感触がいまでも乳房に残っている。今は成長して、大人になろうともがいている・・・。大きい夢を掴んで欲しいという母親の切実な願いが伝わってきます。結句は作者の意図どおりになっていません。

添削・改作(梧桐):
「小さな手で乳房を掴み吸ふ赤子−いつか大きな夢掴んでね」

いい歌になりました。


工場の金木犀2001/11/02(金曜)

「木犀の生垣続き工場の全盛のときを香りにとどめて」(すみえ)

何の工場ですかね。すくなくとも、あおぎりの周辺にあった繊維工場ではないですね。この工場は今でもなんとか操業しているわけですね。
 この歌、全体的にはよく詠めていますね。

添削(梧桐):
「木犀の生垣つづく工場は全盛の過去をその香にとどむ」

ほんの少しの手直しですが、いい歌になりました。


読書の秋2001/10/30(火曜)

「寒き夜は文字の薪くべ本を読み心の中から暖まりゆく」(里穂)

いい歌ですね。本気で歌を作ろうとすると、いい歌が出来るものなのでしょう。特に「文字の薪」の表現がいいですね。それを受けて「心の中から暖まりゆく」と続く。これは素直に理解できるのです。少しだけ添削を・・・

添削(梧桐):
「寒き夜は読書の暖炉文字の薪心の中から暖まりゆく」


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