242524
リンクが少ないので音声パソコン等で見やすいですが検索機能や過去ログへのリンクはありません
ものぐさ談話室歌集紹介短歌教室短歌収納庫短歌添削BBS1短歌添削BBS2トップページへ戻る短歌BBS3梧桐学のいい歌ですねものぐさ談話室ものぐさBBSものぐさ歌会短歌で遊ぼ!ものぐさ写真館ものぐさリンク集プロフィールENGLISHメール送信ブロードバンド用トップページへ

1: 文系の数学苦戦 (0) / 2: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(10) (0) / 3: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(9) (0) / 4: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(8) (1) / 5: ものぐさ写真館拝見 (0) / 6: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(7) (0) / 7: 私のお月見歌会 (0) / 8: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(6) (0) / 9: 迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(5) (0) / 10: 私が共感を覚えた歌 (0) /

お名前
Eメール
タイトル
メッセージ
メッセージ中には参照先URLと同じURLを書き込まないで下さい
参照先
何を召し上がりますか?   [談話室喫茶メニュー]
暗証キー (英数字で8文字以内)
文字色

文系の数学苦戦 投稿者:    引用する 


L=L。√1−C2/V2

のような式があって、光速を仮に超えると虚数
になる。私は空間にマイナス次元を想定、ある一定
の条件を満たすとiで構成される空間に入る。
4次元のiで実数のマイナス空間ができるはず。
アインシュタインはそれに気付いておらず、ボーア
や若手にディベートを挑み負けている。。
ああ、文系はしんどいな、数学。


特許庁の巻き毛の役人E=mC2 
        マンハッタンのヴィオラの異音             
2009/01/06(Tue) 23:19:09 [ No.53184 ]

迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(10) 投稿者:    引用する 

第七節  アンソロジ−「月と社会」
月を詠み込んだ社会詠を手元の歌集、短歌雑誌などから集めてみました。私の勉強不足で思ったほどには集められませんでした。お知りの歌があればぜひ追加をお願いします。

「つはものが生命衂(ちぬ)れる大陸の山河の上に月青く照る」 (小泉苳三)
「雪の上にいでたる月が戦死者の靴の裏鋲を照らしはじめつ」 (香川進)
「たたかひに死にたる兄を泣きしより三十とせ生きて月をみてをり」 (島田修二)
「月光のおほふ水面のものぐらし戦争に皆行きしごとくに」(伊藤一彦)
「月はのぼる紫紺の空に忘れねばわすれねばこそ思はずナチス」 (塚本邦雄)
「人間が不安さうなる街なれば公園に見る昼の月痛し」  (梧桐学)
「昼月淡(あわ)し平成元年<消費税元年>としてわれ記憶せむ」 (高野公彦)
「娘が婿をとりて農場を継ぐといふことの嬉しく月に乾杯」  (時田則雄)
「ラジオ局がもし月光の牢獄(ひとや)ならデイレクタ-とはいかなる罰か」(藤原龍一郎)
「月と星 立ち漕ぎをする自転車がすうっと過る残業の窓」 (佐藤きよみ)
「さらさらとあぶらしたたるごとく降るこの町の月かげに塗(まみ)れむ」(矢部雅之)
「妻のゐる棄老病棟に降る月光ちひさきちひさき花びらと見ゆ」 (桑原正紀)
2008/11/17(Mon) 02:21:26 [ No.53183 ]

迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(9) 投稿者:    引用する 

 第六節 「戦争鑑賞人」としての私たち (つづき)
「信号の命に服して全自動車全歩行者が動かずに待つ」                (奥村晃作)
「運転手一人の判断でバスはいま追越車線に入りて行くなり」              (同)
日常のありふれた事象を「ただごと歌」として詠う奥村の歌には時としてゾクツとするような毒を含んでいます。
第一首、信号が鳴っているのに遮断機を潜って線路に出れば大事故が起こることは必然。真に当たり前のことだが、考えてみると私たちはガンジガラメの法律・規則の網目の中で生活しています。規則だけではない。昔からの慣習だったり義理だったり様々なしがらみを当たり前のこととして甘受しそれに少しの疑問も抱かない。少しでも逸脱すれば世間から白い目で見られる。それはすでに人間臭のない「信号の命(めい)」というメカの枠内で呼吸をしていると言えます。それだけではありません。最近はあらゆる場所に設置された監視カメラ(それは犯罪捜査のためではありますが)で監視されたり盗聴器で盗聴されたりしています。グ−グルの最新の地図検索サ−ビスでは簡単に個々人の家まで鮮明な像で見ることが出来ます。総ヒツジ化社会、総監視下社会とも言えましょう。
第二首、高速道路を走るバスで「前の車を追い越ししますか?」と乗客に聞く運転手はいない。しかし乗客を国民、運転手をその国の首領(大統領、首相)に言い換えたらどんなことになるのだろうか。良い例がアメリカのブッシュ大統領。大国の権力を振りかざしてアフガニスタン、イラクへと軍事路線という危険な追越車線を突っ走しってきました。一時アメリカの国民も「前の車なんぞ追い越してしまえ」とばかりに熱狂しました。
私は正直のところ民主主義と言えどもあれほどの過ちを犯すなら、民主主義自身に欠陥があると考えていました。しかし圧倒的なオバマの勝利に接して人間の過ちを修正できるのも民主主義でありそれを支える大衆自身であることを学びました。

「ホワイトハウスで遊ぶ愛犬は雑種とす オバマは言へりYes we can !」    (迷倫)
記者団にホワイトハウスに入ったらどんなペットを飼うのかと尋ねられたオバマはこう答えました。
「二つ条件がある。一つは捨てられて施設で飼われている犬 二つは雑種であること」
前者は爆撃で親が死亡した戦災孤児を思ったのでしょう。後者の雑種とは自分が黒人の血を引いていること(あるいは白人の血が混ざっていること)の誇りでしょう。人類が色の違いを乗り越えて互いに雑種として共存していくシンボルなのかも知れません。
2008/11/14(Fri) 03:07:14 [ No.53182 ]

迷倫のボヤキ歌論:月と社会詠(8) 投稿者:    引用する 

  第六節 「戦争鑑賞人」としての私たち
ここでは現代社会の中で私たち自身がどんな存在だろうか・・といささか哲学めいたテーマで述べてみます。

「棒切れにすぎないものを処理しつつ妻の不機嫌を怖れたであらう」(小池光)
1940年代ヒットラ−はポ-ランドにあるアウシュビッツで400万のユダヤ人を銃殺やガス室で毒殺しました。短歌はこの地を訪ねた小池が詠ったものです。ガス室で焼かれてバラバラになった骨の後片付けを日課作業にする一人のナチ党員にとって骨はすでに「棒切れにすぎないもの」になっていたのです。その虐殺の陰惨さよりも彼は家に帰って給料の安さをまた妻になじられることの方が重大事だったのでしょう。この歌は戦争というものが人間の神経をここまで荒廃させるという現実、そして普通の市民誰でもが状況によってはここまで残酷になりうるという恐怖を詠っています。

「空爆の映像果ててひっそりと <戦争鑑賞人>は立ちたり」 (米川千嘉子)
ところが現代の平和な日本にあって私たちはイラク空爆の実写映像をまるで戦争映画を見るように「眺める」時代に生きています。戦争は早く終わってほしいと願いながらも、そのための行動を何ら取れない自分に少しいらだっているから無言で「ひっそりと」席を立っています。米川はそうした自分を「戦争鑑賞人」と自嘲しています。私たち皆んなに共通する無力感ではないでしょうか。
2008/11/12(Wed) 03:00:51 [ No.53179 ]
Re: 投稿者:文(f_blue)    引用する 

ずいぶんとご無沙汰しています。
迷倫さんの「社会詠論」、興味深く読ませていただきました。
わたしも、幼児虐待や若者による無差別殺人など、自分なりに歌にしてみるのですが、発表の機会もないまま三面記事的には古びてゆきます。

ただ、歌にすることによって、ひと時でも自分にひきつけ、取り込むわけで、この作業は続けてゆきたいと思っています。

社会詠のむずかしさは、いかに自分にひきつけられるかではないかと思っています。
そのことによって、読者、読むものにとってもより身近な問題となるのではないかと考えます。
2008/11/13(Thu) 16:59:45 [ No.53181 ]

ものぐさ写真館拝見 投稿者:    引用する 

先生、ゆう子さん
ものぐさ写真館の石見銀山(世界遺産)拝見いたしました。大森の町並みの奥は勝源寺なんて美しく撮られていますね。光とのバランスがスゴイ・・流石先生腕前とやはりセンス。柿本人麻呂の生誕と終焉の地、神社もあるのですね。久城が浜センタ−の辛の崎きれいな海岸ですね。海岸の石と波の様子まで普通のデジカメはとうてい撮れません。カメラのせいにしておきます。)^o^(
益田市に雪舟誕生と終焉の地があるのですか。以前主人と山口県で雪舟の庭と作品観たようにおもうのですが。。庭園も綺麗ですこと。島根県は何十年も前いったのですが
益田市は知りません。又一度訪ねたいです。
先生の写真はやはり垢抜けて違います。有難うございました。
2008/11/12(Wed) 22:10:50 [ No.53180 ]

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |

NO: PASS:

- KENT -
Modified by isso